山田久志が語る谷繁元信獲得秘話。「名古屋って、難しいところだよ」 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 プライドをくすぐるわけではなく、むしろ挑発するようなニュアンスが谷繁にはフックしたのだろうか。コーナーストーンが決まれば、次は二遊間への着手だった。

――アライバコンビが生まれた経緯を教えてください。

「当時、立浪(和義)は膝の故障があって、そして福留のショートは無理だと。で、二宮(至)コーチが『福留は外野という考えはないですか?』と言ったんです。ライトの提案だったけど、私のライトのイメージはイチローだったからね。でも、もしこのコンバートが成功すれば、立浪のサード、(レオ・)ゴメスのファースト、福留の外野が埋まって、あとはショート、セカンドだけ。むしろ消去法だったけど、アライバは孝介と立浪の副産物です」

――立浪は選手生命を伸ばし、福留はコンバート1年目で首位打者を取りました。ショート井端、セカンド荒木という特性はどこで見抜いたのでしょうか。

「最終的には肩ですね。肩の強さはそんなに変わらないんだけど、送球の確実さというのはやっぱり井端だった。ショートはスローイングだからね」

――特性という点で言えば岩瀬のポテンシャルが、リリーフにあると考えた大きな理由はどこにあったんでしょう。

「岩瀬は、新人時代3月のオープン戦であのスライダーを右バッターがみんな振るんだよね。右でもこのスライダーは通用するんだと確信して、次はポジションをどこにするか。性格的なもので、怒られても褒められても我関せずみたいな感じのところがあるのと、ギャンブルが好きでお酒を飲まない。これはリリーフピッチャーにいい面だった。全部備わっているなと。抑えは宣銅烈(ソン・ドンヨル)がいたから、その前(セットアッパー)。ブルペンは落合英二がうまいことみんなをカバーしてくれていて、あの投手陣は強かったね」

――指導者となった落合英二は今でもコーチの残像としていつも山田さんを追っていると公言しています。

「英二は私にとってはものすごくやりやすい選手で。ここは嫌だなと思っていても、それを顔に出さずにやってくれたし、私の意図を投手陣に伝える役目でした。それで雰囲気づくりをしてくれました」

 幾人もの新人を入団時からリリーフとして育て、開花させた。孤軍奮闘する中で山田は先を見越した土台を作っていく。しかし、球団側はけしてそれに見合うバックアップをしてきたとは言い難かった。

(つづく)

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