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愛されて四半世紀。福浦和也が語る
「最下位指名からの2000本安打」 (2ページ目)

  • 村瀬秀信●文 text by Murase Hidenobu
  • 村上庄吾●写真 photo by Murakami Shogo

 93年ドラフト7──福浦のプロ野球におけるキャリアは、その年の最後に名前を呼ばれた"最下位指名選手"からはじまった。

 世代の一番下から入団した福浦は、今シーズン中日の岩瀬仁紀、同じ昭和50年生まれの西武・松井稼頭央が引退したことで、来季からは巨人の上原浩治とともに球界最年長の冠をいただく。

 それは同年代の野手では誰よりも長く現役を続けた選手の意味でもあるが、福浦は"球界最年長"という言葉には率直に「嫌ですね」とかぶりを振る。

「僕の同級生には、高橋由伸や松井稼頭央、上原浩治とか、すごい選手がたくさんいました。僕にとって彼らはライバルなんですけど、それ以上に特別な存在です。やっぱり負けず嫌いだったんでしょうね。僕なんて打つだけですから『バッティングだけは絶対に負けたくない』という思いを常に持ってやってきました。同級生とは一緒のグラウンドに立っているだけでも楽しかったんですよ。ピッチャーと対戦したり、一塁に出塁してきた選手と言葉を交わしたり、めちゃくちゃ意識はしていました。

 とくにカズオくん(松井稼頭央)の存在は大きかった。ルーキーの時から二軍でも一緒にやってきましたからね。ここ最近はご飯を食べに行くたびに『1年でも長くやれるように一緒に頑張ろう』とずっと言っていました。2000本も彼の前で打てましたしね。花束を持ってきてくれた時も、『来年も一緒に頑張ろう』って思っていたら......辞めちゃった。全然知らなかったんですよ(笑)。まぁ、さみしくなりますけど、こればっかりはさみしくとも各々の人生ですから、しょうがないですよね」

 ロッテ選手の2000本安打は、球団生え抜きの左打者として同じ"安打製造機"の異名を持つ求道者、榎本喜八氏以来の偉業。42歳9カ月での到達は、中日・和田一浩氏に次ぐ2番目の年長達成である。

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