監督交代で好機到来の成瀬善久。実は独立リーグ行きを決めかけていた

  • 寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

 2018年シーズン限りでヤクルトから戦力外になった成瀬善久が、来年2月にオリックスの入団テストを受けることになった。

 成瀬は2003年のドラフト6位でロッテに入団。2007年に16勝(1敗)を挙げてパ・リーグの最優秀投手となり、リーグ3位から日本一になった2010年の"最大の下克上"にも大きく貢献した。しかしヤクルトにFA移籍してからの4年間は思うような結果が残せず、プロ通算100勝を目の前(96勝)にチームを去ることになった。

 今オフの合同トライアウト参加後もNPB球団からの連絡はなかったが、思わぬ形でチャンスが舞い込んできた。テストに向けて「森永製菓トレーニングラボ」で汗を流す成瀬に、テストが決まるまでの経緯や意気込みなどを聞いた。

オリックスの入団テストを受けることになった成瀬オリックスの入団テストを受けることになった成瀬──オリックスの来春のキャンプで入団テストを受けることになりましたが、どのような経緯で決まったのでしょうか。

「12月初旬に、オリックスの新監督に就任された西村(徳文)監督から、『うちでテストを受けてみないか』と直々にお電話をいただきました。金子弌大(旧千尋・日本ハム)さんがオリックスを自由契約になって間もなくでしたかね。NPBでプレーすることが第一目標だったので、ふたつ返事で快諾したんですが......実はその時、BCリーグの栃木ゴールデンブレーブス(GB)への入団を決めかけていたんです」

──栃木は成瀬さんの出身地でもありますね。栃木GBからはどんなオファーがあったのですか?

「戦力外になった後にどのような形で野球を続けるかを模索していた時に、ヤクルト時代の同僚で、小学校・中学校の先輩でもある飯原(誉士・栃木GBヘッドコーチ)さんが、『地元に貢献してみないか?』と声をかけてくれたんです。11月13日にトライアウトを受け、1週間待ってもNPB球団からの連絡がなかったので、『行きます』と口頭で伝えました。11月末に開催されたヤクルトの納会ゴルフコンペに参加した際には、小川(淳司)監督やチームメイトにも『来年は栃木でやります』と話しましたし、『そろそろ栃木で物件を探そう』と思っていたくらいです(笑)」

──ギリギリのタイミングだったんですね。西村監督とはロッテ時代にご一緒でしたが、どのような印象がありますか?

「僕がロッテに入団した時、西村監督は(ボビー・)バレンタイン監督が指揮を執るチームのヘッドコーチでした。2010年に監督に就任されてから話をする機会が増えましたね。西村監督はブルペンにもよく来てくれたので、投手陣の体や精神面の状態について相談することが多かったです」

──成瀬選手の一軍初登板は、入団3年目の2006年シーズンでしたね。

「その前年、チームは日本一になり、先発投手6人が2ケタ勝利を挙げていました。だから、『二軍でどんなに調子がよくても自分には出番がないかもしれない』と、絶望しかなかったです。数年後の"クビ"も覚悟していたんですけど、翌年の春季キャンプで一軍から声がかかりました。

 そこはもう別世界でしたね。入団当初に、選手寮の寮長から『二軍のぬるま湯体質に漬かったら一軍への道はない』と言われたんですが、それを実感しました。選手の練習に取り組む姿勢、言動にすごみがあり、ブルペンで投げる時のプレッシャーも段違い。そこでダメなら、『いらない』と判断されてしまいますから。チームメイトも"仲間"ではないと言いますか、一軍の選手枠を争うライバルでもあったので、常に危機感や緊張感がありました」

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