山﨑武司「プロ初ヒットを打った時を思い出していた」 (3ページ目)
その打法を見につけた翌年、野村克也監督と出会う。
「準備の大切さを徹底的に叩き込まれました。それまで本能で打っていた部分がほとんどでしたが、相手を研究し、データを叩き込んで立ち向かえば、全く違った結果になることを教わりました。大きな出会いでしたね」
野村監督から主軸として起用され、チームメイトからの信頼も高まる。スターの少ない新興チームでシンボルのような存在になっていった。
「期待されていたことが大きなモチベーションになったのは間違いないです。若いチームの中で、チーム最年長の自分がやらなきゃならないことも多かったですが、それがやりがいにもなりました」
2007年には二冠王、2009年には39本塁打でチーム初のクライマックスシリーズ(CS)進出に貢献する。そして2012年からは古巣に戻った。
「イーグルスを去る頃には、もう僕はチームの中心選手ではなくなっていました。イーグルスの横綱じゃなくなったんですよ(笑)。それがわかったので、もうこのチームにいるべきではないと思ったんです」
名古屋出身にもかかわらず仙台に骨を埋めようとまで考えた山﨑だが、現在の体制の中で、仮にコーチなどでチームに残っても悪い影響が出ると考えて古巣に戻ることにした。
「元気な姿を1年でも長く見せることが、仙台で応援してくれたファンへの恩返しだとも思ったし……」
ドラゴンズの最後の2年間は数字から見れば誰もが納得するものではない。しかし山﨑にとっての意味は小さくなかった。
「初心に戻れたというか、初ヒットを打った時のことを思い出しました。僕は愛知県出身で、地元のドラゴンズに入団した。初ヒットを打ったのは、同い年で、同じ愛知県出身、高校時代から知っていたスワローズの内藤尚行(現・新潟アルビレックスBC監督)でした。それから25年経ったけど、そんなにやったのかなぁ。でも、最後にまたドラゴンズのユニフォームを着られてよかった」
いよいよ新しい生活に踏み出す。すでにCSや日本シリーズではゲスト解説として、的確な見方を披露してファンをうならせた。
「これからは野球にかける比率が5、遊びが3、その他の仕事が2、丸ごと野球というのではなく、いろんなことに挑戦したいですね」
そこから得たものを野球に還元する。当然、そうした心積もりもあるはずだ。
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