2013.11.07

阪神一筋22年。桧山進次郎が「代打の神様」と呼ばれるまで

  • 岡部充代●文 text by Okabe Mitsuyo
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

プロ野球「行く人、来る人」2013

 ずっと「神様」だったわけではない。過去の称号は「暗黒時代の4番」。タテジマ一筋22年の桧山進次郎は、”明”と”暗”、”栄光”と”挫折”、”歓喜”と”悲哀”……さまざまな言葉で表現される両極端なふたつのプロ野球人生を味わった。

桧山進次郎(ひやま・しんじろう)/1969年7月1日、京都府生まれ。平安高から東洋大を経て、91年に阪神からドラフト4位指名を受けて入団。95年から一軍に定着し、阪神打線の中軸を担う。03年には選手会長として18年ぶりのリーグ優勝に貢献。06年からは代打の切り札として活躍し、「代打の神様」と呼ばれるようになる。通算成績は1959試合に出場し、1263安打、159本塁打、707打点、打率.260。

 平安高(現・龍谷大平安高)から東洋大を経て、91年秋のドラフトで阪神から4位指名を受けた。京都出身の桧山にとって、阪神は憧れの球団。「ミスター・タイガース」と呼ばれた掛布雅之には、新幹線のホームでサインをもらったこともある。

「たまたま阪神の選手と一緒になって。いま考えたら失礼な話ですけど、近くにいた知らない人にもらった”紙切れ”にサインを書いてもらいました(笑)」

 そんな、関西にならどこにでもいそうな野球少年が成長し、タテジマのユニフォームを着ることになった。

 1年目のキャンプは二軍。プロ入り後に転向した外野の守備は島野育夫コーチ(故人)に、打撃は柏原純一コーチに鍛えられた。中学以来となる外野守備には「一から出直し」と謙虚になれたが、打撃は「勘違いしてしまった」と言う。一軍が練習するメイングラウンドに呼ばれて特打をすると、ホームランを打つたびにファンから歓声が上がり、スポーツ各紙に賞賛の記事が載った。そのことで「ホームランバッターとしてアピールしなければ」の思いが強くなり、大振りになってしまったのだ。

 たしかに桧山の飛距離は魅力のひとつだっただろう。のちに「4番」を任されたことからも、それは分かる。ただ、プロとしての体力や技術が追いついていないフルスイングは、結果を生まなかった。5月末に一軍に初昇格し、プロ初安打も記録したが、約2週間でファームに逆戻りとなった。

 自分のバッティングを見失ったままプロ1年目のシーズンを終えた桧山は、技術練習に耐えうる体力強化がオフの最優先課題と考え、スポーツジムに通い始めた。そこで出会ったのが、のちにパーソナルトレーナーとして契約し、引退までともに歩むことになる仲田健フィジカルトレーナー。プロゴルファー・石川遼やプロボクサー・名城信男らも指導した名トレーナーだ。