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首位を走る西武。なぜ次々と若手が台頭してくるのか? (3ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • 小内慎司●写真 photo by Kouchi Shinji

 渡辺監督の育成方針はシンプルだ。

「当たり前だけど、選手は使わないと出てこない。使ってみて、判断して、行けそうなら、ある程度の成績が出なくても我慢して使う。そうは言っても一軍だから、結果を出さないと使えない。選手が頑張っているんだよ」

 広岡達朗氏が監督に就任した82年以降、西武がBクラスに転落したのは2007、2009年のわずか2回。勝つことで強くなり、勝ちながら若手を育ててきた。そうした中で伝統を伝えてきたひとりが土井正博氏だ。1985年に二軍打撃コーチに就任し、以後、入退団を繰り返しながら15年間、西武のコーチを務め、清原和博、松井、中島らを鍛えた。

 土井氏はことあるごとに秋山、浅村らの若手に「常勝・西武」の教えを説いた。

「強いチームを担うには、野球を勉強しなければいけない。プロでは細かい野球を求められる。高校、大学、社会人ではみんながクリーンアップを打っていたけど、プロでそこを打てる選手はそういない。だから細かい野球を教えている。それを身につけた上で、3、4番としてどう打つか。小技、バントから始まって、教えることはたくさんある。だからひとつずつやっていく。そうすれば、レギュラーになったときに慌てず、自分の野球ができる。それがライオンズの野球。それが常勝のノウハウ」

 土井氏はチームを去ったが、伝統は今も受け継がれている。栗山が言う。
 
「ドラフトで指名されたときから、常勝・西武を意識しました。Aクラスは最低限で、常に優勝争いをしないといけない。僕らは先輩が築き上げてきたものに感謝しながら、伝統を守らないといけない。クライマックスシリーズに出られれば良し、ではダメ。西武は優勝争いしてナンボ。最近は優勝争いから遠ざかっているので、危機感を持っています。渡辺監督が作ってきたものをボクらが続けていかないといけない。それが伝統です」

 西武が最後にリーグ優勝、そして日本一に輝いたのは08年。その前年、5位に終わったチームを就任1年目の渡辺監督が見事に立て直した。

 その指揮官がリスタートを誓う今季、西武は新たな強さを身につけつつある。

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