【プロ野球】指導者経験ゼロ。栗山新監督が挑む『脱・球界の常識』 (2ページ目)
栗山監督は評論家時代、どこへでも積極的に足を運び、選手や関係者と直(じか)に話をすることでその存在感を確立していった。種目を越えたたくさんの選手たちから得られた信頼は、その熱意に対する当然の見返りだったのではないか。
だから、余計に難しいと思う。
取材を受けた選手たちにとっては、話をきちんと聞いて理解してくれる兄貴分だった栗山監督が、ときに非情な指揮官として振る舞わなければならなくなる。そのたびに「あの人は監督になって変わってしまった」とかナントカ、必ず言われてしまうだろう。かといって、これまでと同じように人当たりよく振る舞えば、「監督ならばもっと厳しくすべきだ」とか、「オーラは必要だ」とか、そんな声も出てくるに違いない。つまり、これまでの"栗山英樹らしさ"と、世の中がイメージする"監督らしさ"は真逆、ほぼ180度、違っている。だから難しいと思うのだ。
「これはね、正直、自分自身にも期待しているところなんですよ。僕は『今までの監督とは全然、イメージが違うよね』って言われたい(笑)。ただし選手に対しては、自分たちの親分としてドンと、いつも選手たちの盾になっている空気は作ってあげたいと思っています。大将は頼りないとイヤなものじゃないですか。そこはすごく大事にしなきゃいけないと思っている。ただ、いわゆる世の中の監督像と一致していると思うのは、そこだけです。あとはすべて、一致したくない(笑)」
プロ野球の監督は偉い。
監督が代われば、監督の息がかかったスタッフも一掃される。新しく来た監督は新しいスタッフを連れて乗り込んでくる。そしてユニフォームを変えたり、選手の背番号を変えさせたりもする。やがては選手の年俸を決めたり、トレードをまとめたり、ドラフトで指名する選手にも口を出すようになる。つまりGM兼監督というわけだ。しかし、栗山監督は身ひとつでチームに飛び込んだ。これも最近の球界では珍しいケースだと言える。
「いろんな力があまりにも監督というポジションだけに集約しすぎているから、そうなっちゃうんだろうね。今回、実際に監督をやってみて、改めて感じました。こんなに監督にいろんな権限を与えちゃうんだと......これはよくないと思います。野球界をもっとこうしたいという思いからすると、監督にばかり力を与えるのはよくない。それでも、このチームはGMを中心にフロントがすごくいい形を作っていますし、コーチ会議には編成スタッフが全員、参加して首脳陣の話を聞いています。そうすることで監督やコーチにプレッシャーをかけていく。いいことですよ。ところがそういう形を持っているこのチームでさえ、たとえばサインプレイについて『監督はどうしたいんですか、監督の希望に合わせますから』となっちゃう。いや、もちろん合わせてもらうのはいいんですけど、いいものはいい、変える必要はないと、チームとして踏襲していかなきゃいけない部分もありますよね。監督がこうしたいと言えば、すべて変わってしまうというのはどうなのかという話なんです」
2 / 3