【プロ野球】指導者経験ゼロ。栗山新監督が挑む『脱・球界の常識』

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 青山浩次●写真 photo by Aoyama Koji

チームの大黒柱だったダルビッシュが抜けた今季、栗山監督の采配に注目が集まるチームの大黒柱だったダルビッシュが抜けた今季、栗山監督の采配に注目が集まる 突然、「監督っ!」と呼ばれて、振り向けるようになったのだろうか。

「だいぶね(笑)。だって、振り向かないと話が進まないんで(笑)。でも、それは僕らが持っていた、いわゆる監督のイメージで呼ばれている感じじゃなくて、ただの呼び方として、"クリさん"が"監督"に代わっても違和感を覚えなくなってきた、ということなのかな」

 ファイターズ、栗山英樹監督。

 選手名鑑を眺めれば、プロ経験年数の短さがやけに目立つ。選手生活も含めてプロ8年目の監督というのは前代未聞だろう。選手としての実績でいえば、1989年にゴールデングラブを受賞したスワローズの外野手だった。しかしながら7年間の現役生活で、出場試合数は500に満たず、積み重ねたヒット数も336本と、決して突出した結果を残したわけではない。しかも、引退後はプロでの指導者としての経験がなく、一足飛びで監督となった。その一方で、教員免許を持つ国立大卒(東京学芸大)の経歴を生かし、スポーツキャスターにとどまらず、大学教授として、またプロとアマの橋渡し役として、野球界のあり方についての研究、提言を続けてきた。

 その野球界の論客が、22年ぶりにユニフォームを着た。しかもチームのOBでもないのに、ファイターズの監督として――普段、頼まれた色紙に『夢は正夢』と書き続けてきた彼にとって、果たして"監督"は夢のひとつだったのだろうか。

「監督というポジションは、日本のプロ野球界が今後、ファンの人にさらに認知され、発展するためにものすごく重要なポジションだと思っていました。ただ、それは僕がやるポジションではなかった。それが、お話をいただいて、監督をやるならここしかないんだろうなと思ったんです。チームが向かおうとしている方向性は、まさに自分がそうした方がいいと思ってきたことに一致しているし、この2年というのはファイターズが北海道に移転して、9年目、10年目にあたります。北海道に根づくためにもう一度、新たなスタートを切りたい。もう一度、ファイターズらしさというものを定着させたい......そんな思いがきっとあるんだろうなという中でオファーを受けて、真っ先に『僕に死ねと言ってるんですよね』と言っちゃいました(笑)。僕は監督になろうと思ってなったわけじゃないし、このポジションは自分のことはゼロ、人のために尽くすだけだと思っていますから、チームのためにできることをしようと思っています」

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