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大谷翔平が緊急先発登板で見せた100マイル超多投の凄みと冷静さ ロサンゼルスに新たな巨大壁画も登場

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

緊急登板にもかかわらず、すばらしいピッチングを見せた大谷翔平 photo by Getty Images緊急登板にもかかわらず、すばらしいピッチングを見せた大谷翔平 photo by Getty Images

前編:「大谷翔平&デコピン」壁画とコービー・ブライアント

9月5日の対ボルチモア・オリオールズ戦、大谷翔平は急遽の先発登板を強いられるなか、100マイル超を多投する見事なピッチングを見せ、あらためてその凄みを周囲に知らしめた。

どんな状況でもチームに求められた役割を果たす――すでにスーパースタークラスの選手となりながらも、謙虚でチームに勝利に貢献する変わらぬ姿勢は、野球という枠を超えてロサンゼルスの人々に大きな影響を与えている。

そして、大谷への敬意の証として、またひとつ、ロサンゼルスのビーチに大谷を描いた壁画が誕生した。今度はデコピンとともに。

【緊急登板での100マイル超多投】

 9月5日午後、ボルチモアに遠征してきたロサンゼルス・ドジャース首脳陣は頭を抱えていた。先発予定だったタイラー・グラスノーが登板回避を余儀なくされたのだ。前夜、ピッツバーグからボルチモアに移動したグラスノーは、短いフライトの間に背中が固まり一晩眠っても痛みが引かなかった。起き抜けにトレーナーへ「投げられそうにない」と伝えた。

 首脳陣は急遽代役を探さねばならなかった。試合開始から5時間前の午後2時、まだホテルにいた大谷翔平に打診が届いた。わずか2日前、ピッツバーグでの先発を風邪による体調不良で回避し、ここ数日は軽いキャッチボール程度しかできていなかった。それでも大谷は迷わなかった。

「ホテルにいるときに、グラスノーが投げられなくなったので投げられるかという確認がきて"いけるよ"って」と即答。翌週8日のコロラド・ロッキーズ戦で先発予定だったが予定を前倒しして、マウンドに上がった。

 試合が始まると、大谷は病み上がりを感じさせなかった。風邪の影響が完全に抜けていないはずなのに、14球目のフォーシームで100マイル(160キロ)を計測。2回も、3回も100マイル越えが2度。だがギアが最も上がったのは4回だった。ライアン・マウントキャッスルに三塁線を抜ける二塁打を許し、暴投で三塁へ進まれた。捕手ダルトン・ラッシングが止めきれず、場内が無死三塁のピンチにざわつく。

 だが大谷は冷静だった。コルトン・カウザーには100マイル越えを4球投げ、最後は100.9マイル(約161.4キロ)の速球で空振り三振。続くエマヌエル・リベラも100マイル越えを3球続けて追い込んだあと、最後は89.7マイル(約143.5キロ)のスイーパーで空振り三振。3アウト目はリリーフのアンソニー・バンダに託し、無失点で切り抜けた。結局、3回2/3を投げ、被安打3、奪三振5、無失点。12個の空振りを奪った。試合は終盤に打線が沈黙し、チームは1対2で敗れた。それでもフレディ・フリーマンは「翔平は全力を出してくれた。病み上がりであれだけの投球をするのは驚異的だ」と称賛を惜しまなかった。

 試合後、大谷は緊急登板について、淡々と経緯を含めて振り返った。

「幸いにも昨日強めのキャッチボールをしていたので、今日起きた(状態の)感じもよかったです。比較的治り際だったので、体調はピッツバーグより(9月2日から4日に滞在)は全然よかった。ピッツバーグの1試合目、2試合目くらいがきつかった。今日はそこまででもなかったかなと思います」

 メジャーの先発投手は中4日ないしは、中5日のルーティンを順番にこなして試合に臨むのが習慣になっている。だが、今回はそれができなかった。しかしその影響があったとは口が裂けても言わない。

「僕が、体調が悪くて登板できなかった時は(エミット・)シーハンが投げてくれていい仕事をしてくれたように、長いシーズンをやっていれば必ずこういうことがある。ルーティンができないからといって今日ダメだなというふうにあまり考えないようにしている。ルーティンはルーティンとしてやりますけど、できなかった時は、それはそれでやるしかないっていう気持ち」ときっぱり。前回登板を飛ばしたことで責任感を感じていたのかと聞かれると、「体調が悪くてもなるべく投げるっていうのがローテーションを守っているピッチャーの条件じゃないかなと思う。状況を見極めて、登板することでチームに迷惑がかかるのであれば、ほかに託すというのもチームの判断じゃないかと思う」と話している。

 4回、フォーシーム7球のうち6球が100マイル超えだったことについては「前に飛べば点が入るシチュエーションだったので、三振を取りにいくほうにシフトして投げた感じです」と説明している。

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著者プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

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