「いつも何見てんですか」 20歳のイチローに一喝された夜 記者が振り返る取材の原点 (2ページ目)
「いつも何見てんですか。試合じゃ着けたことなんかないでしょ」
あっ、やらかした......。後味の悪さと何も言い返せない間抜けな記者を置き去りにし、イチローはすたすたとチームバスに乗り込んでいった。
「昨日はすいませんでした。これからはしっかり見ます」
翌日、イチローがフィールドに現れると真っ先に謝りに行った。すっかり前夜の出来事を忘れていたのか、彼はキョトンとした顔で「え? ああ......」とだけ言い残し、さっそうと外野に走っていった。
あの夜の出来事を思い出すと今でも顔が熱くなるが、その一件でそれまで以上にイチローへの興味が強くなったのも確かだ。まだ高校生のようなあどけなさが残る20歳の青年が、7歳も年上の記者をためらいなく叱る。どんな人なのかをもっと深く知りたくなった。
【2人きりで行った老舗喫茶店】
1対1で話を聞く。その回数をできるだけ増やす。これが自分の仕事の基本と思っているが、その前には対象との心理的な距離を縮めないといけない。よく知らない相手に聞かれたことを正直に話す人なんて、実社会にはめったにいない。むしろ付き合ってすぐ何でも洗いざらい話してくれるような人には、何か別の意図があると勘ぐったほうがいい。
だいたい、メディアから注目されるような人物は警戒心が強く、簡単に心を開いてはくれないものだ。
実際、オリックス球団担当だった1995年までの2シーズンで、イチローと1対1で話したのはプロテクターの一件を含めて4、5回あったかどうか。その会話内容もごく些末なものだった。そんな"その他大勢"のひとりだった自分が、最重要取材対象との心理的距離を狭めていく感触を得たのは、オリックス担当を離れてからの数年間だった。
1995年12月に東京へ転勤。新しい部署では比較的、勤務時間の融通が利いた。そこで関西方面に出張した時は、できるだけ神戸や大阪まで出向いて試合前やナイター後のイチローに声をかけるようにした。オリックスが千葉や東京で試合をする時も、時間を工面して顔を見に行った。転機は1999年9月、オリックス選手寮・青濤館(せいとうかん)を訪ねた時だった。
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