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大谷翔平の根っこは菊池雄星という
「教科書」を用いて築かれた (3ページ目)

  • 佐々木亨●文 text by Sasaki Toru
  • photo by Kyodo News

 佐々木監督の立場で言えば、菊池を指導したノウハウが色褪せることなく、その熱量が残ったままに大谷と出会えたことは幸運であり、運命的な流れだった。

 大谷の成長を見守り、慎重に育成を進めるなかで、佐々木監督は何かにつけて「雄星」を引き合いに出した。「高校時代の雄星は、こんなトレーニングをしていたよ」「雄星は、こんな食事をしていたよ」と。

「実際に成功した人の足跡をたどる以外に、確実に成功する方法はない」──そんな言葉も用いる一方で、「雄星さんのようになりたいという考えではなく、『超えたい』と思わなければいけない」とも伝えた。

 佐々木監督は、常識にとらわれることのない新たな発想力も大谷に求めた。いずれにせよ、雄星という"教科書"を用いて大谷の根っこは築かれていった。

 高校3年夏に記録した160キロという数字は、その流れのなかにあったひとつの目標数値であり、決して夢物語ではなかった。大谷の備え持った才能と、菊池の高校3年間をもとに計算して弾き出されたものだった。だからこそ、実際に160キロのスピードを目の当たりにしても、佐々木監督は「大きな驚きはなかった」と言う。

 菊池雄星と大谷翔平──彼らが花巻東で過ごした歳月は、チームにとって、そして岩手の野球にとって大きな転換期だった。もっと言えば、野球界全体にとっても深い意味を持つ時間だったかもしれない。

 今年4月18日(日本時間19日)、彼らは海の向こうのグラウンドで顔を合わせた。試合前の練習中に、先輩のもとへ後輩が駆け寄る。ふたりは握手を交わし、わずかな時間だったが談笑した。

 2つの大きな"個"は今、メジャーリーグを舞台に戦う。菊池のメジャー1年目に胸を躍らせ、リハビリ期間を経て5月7日(日本時間8日)にグラウンドに帰ってきた「打者・大谷」に期待するなかで、いつも頭の片隅で思い浮かべるのは、彼らが連なるように描いた軌跡──花巻東での6年間である。

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