大谷翔平の根っこは菊池雄星という「教科書」を用いて築かれた (2ページ目)

  • 佐々木亨●文 text by Sasaki Toru
  • photo by Kyodo News

 大谷が花巻東への進学を決めた理由のひとつに、同校の2009年の軌跡がある。現在はシアトル・マリナーズでプレーする菊池雄星を擁した花巻東が、センバツ準優勝、夏の選手権大会で甲子園4強になったその年、大谷は中学3年生だった。

「花巻東がちょうどその時に甲子園に出て有名でもありましたし、実際に練習を見に行ってすごく雰囲気がよくて『ここでなら自分を伸ばしていけるんじゃないか』と思って選びました」

 高校選びについて、のちに大谷はそう語ったことがある。さらに、こう続けた。

「岩手県内で菊池雄星さんと言えばすごい選手。岩手にもこんなにすごい選手がいるんだなって。岩手からもこんな選手が出てくるんだなって、本当に驚いたのを覚えています。雄星さんのような選手って、僕は大阪や神奈川の激戦区などにいる選手だと思っていました。それが岩手にいた。あれだけ注目される選手、怪物みたいな選手が岩手から出たのを僕は見たことがなかったので、憧れみたいなものはあったと思います」

 全国にはもっとすごい選手がいる──中学時代の大谷はそう思い、「自分がどれだけの選手なのかわからなかった」とも言う。だが、全国レベルの投手だった菊池という大きな光を身近に感じることができ、大谷の思考は揺さぶられた。佐々木監督は感慨深くこう語る。

「雄星たちの代の野球を大谷が中学3年生の時に見たことは大きかったと思います。岩手が野球で熱狂し、こんなにもみんながひとつになるんだということを、中学時代の大谷は見て感じたわけですよね。もしかしたら、あの県内のフィーバーがなかったら、大谷は他県の高校に行っていたかもしれない。すべては巡り合わせだったと思います」

 菊池が高校を卒業した2010年に大谷は入学した。実際に両者が花巻東のグラウンドで同じ汗をかき、同じ時間を共有することはなかった。だが、同じ時代に絶妙にシンクロし、同じすみれ色を基調としたユニフォームを着た現実は大きな意味を持つ。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る