3000安打は通過点。イチローも伝説の
「アンチエイジング選手」に (2ページ目)
1927年には古巣のタイガースを離れ、フィラデルフィア(現オークランド)・アスレチックスに移籍。そして1928年、不滅の大記録と言われた通算4191安打まで数字を伸ばし、ようやくバットを置いたのです。引退したとき、カッブは41歳。まさに衰え知らずの偉大なバッターでした。
次に紹介したい選手は、1941年からセントルイス・カージナルスひと筋で22年間プレーしたスタン・ミュージアルです。「ザ・マン」の愛称で親しまれ、セントルイス史上最高のプレーヤーと称されたミュージアルは、1958年5月13日に当時37歳で3000安打を成し遂げました。ちょうどその年のオフ、日米野球でミュージアルが来日し、日本ですごい騒ぎになったと言われています。
その時点でミュージアルは、メジャー在籍17年目。引退後は最速で殿堂入りしたほどのスタープレーヤーです。しかし、3000安打達成後も彼はバットを置くことなく、翌年も現役を続行。その後、3年連続で打率3割を切ったのですが、なんと41歳となった1962年にはナ・リーグ2位の打率.330をマークしたのです。結果、ミュージアルは1963年まで現役を続け、当時ナ・リーグ記録の通算3630安打を残しました。
続いては、1954年にミルウォーキー(現アトランタ)・ブレーブスでデビューしたハンク・アーロンです。アーロンは1970年5月17日、メジャー17年目のシーズンに当時36歳で3000安打を達成しました。
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