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【MLB】極東の「金の卵」を探して。日本担当スカウト50年史

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu
  • photo by AFLO

1964年に日本人初のメジャーリーガーとなった『マッシー』こと村上雅則1964年に日本人初のメジャーリーガーとなった『マッシー』こと村上雅則 昨年、メジャーリーグの各球団がこぞって高校生の大谷翔平投手に興味を示したことで、改めてメジャーのスカウトの存在に注目が集まりました。そこで今回は、メジャーの球団がいつから日本にスカウトを送り込んでいるのか、その歴史について振り返りたいと思います。

 日本担当スカウトの歴史を紐(ひも)解けば、50年以上も前までさかのぼります。時は1960年代、日本で最も早くスカウト活動を行なった球団はサンフランシスコ・ジャイアンツでした。そして1964年、ジャイアンツの極東担当スカウトだったキャピー原田という日系アメリカ人が野球留学中の村上雅則投手を南海ホークスから獲得するために尽力し、日本人初のメジャーリーガーを誕生させた話は有名です。

 またジャイアンツは、大東文化大学に所属していた鈴木弘という長身の大型一塁手に目を付け、1970年にマイナー契約を結びました。1970年3月に日米野球でジャイアンツが来日したとき、試合前の練習でウィリー・メイズやウィリー・マッコビーと一緒に彼がシートノックを受けていたのを鮮明に覚えています。のちに殿堂入りする名プレイヤーと同じグラウンドで日本人選手が練習しているシーンは、実に衝撃的でした。

 さらにジャイアンツは同年、当時日本球界で「超高校級ピッチャー」と呼ばれていた選手にも触手を伸ばしました。広島・広陵高校のエースだった佐伯和司(広島と日本ハムでプレイして通算88勝)という投手です。まさしく、大谷投手の一件と非常に似ています。ジャイアンツは日米紳士協定に触れないよう、一度アメリカの大学に入学させてから契約しようとしました。しかし本人がメジャー行きを断念したため、実現はしませんでしたが......。

 そして1972年には、日米間で初となるトレードも行なっています。当時ロッテオリオンズに所属していた浜浦徹という投手を、フランク・ジョンソンという選手との交換トレードで獲得。このように1960年代から1970年代にかけてのジャイアンツには、日本人選手と次々に契約しようとした歴史があるのです。

 そんなジャイアンツに続けと、次に日本へスカウトを送り込んできたのが、ミルウォーキー・ブルワーズとトロント・ブルージェイズです。まずブルワーズには、日本人の妻を持つレイ・ポイテビントという人物が精力的に日本でスカウティングするようになりました。大の親日家のポイテビントは、のちに「国際担当スカウトのパイオニア」と呼ばれるようになる伝説的なスカウトマンで、1979年には元巨人の小川邦和投手を獲得。さらにブルワーズは1985年、日本球界を代表するエースとして活躍した江夏豊投手ともマイナー契約を結び、日本で大きな話題となりました。

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著者プロフィール

  • 福島良一

    福島良一 (ふくしま・よしかず)

    1956年生まれ。千葉県出身。高校2年で渡米して以来、毎年現地でメジャーリーグを観戦し、中央大学卒業後、フリーのスポーツライターに。これまで日刊スポーツ、共同通信社などへの執筆や、NHKのメジャーリーグ中継の解説などで活躍。主な著書に『大リーグ物語』(講談社)、『大リーグ雑学ノート』(ダイヤモンド社)など。■ツイッター(twitter.com/YoshFukushima

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