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公務員志望から甲子園優勝投手で一変 京都国際・西村一毅が味わったジェットコースターのような波乱の1年 (3ページ目)

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi

 秋の京都大会4回戦で、難敵・京都外大西と対戦した。先発のマウンドに立った西村だったが、夏の甲子園のような投球は見られない。

「初回にタイムリーを打たれて、自分でも『あれ?』という感じでした。それでも、その後は何とか思うように投げられていたのですが、終盤の押し出しが痛かったです。自分の気持ちが切れかけているなかでの押し出しだったので......」

 京都外大西の揺さぶりも、意識しないつもりではいたがどこかで気にしていた。試合は1対1のまま延長戦にもつれ込み、11回表に味方が1点を勝ち越したものの、直後の裏に押し出し四球などで2点を献上しサヨナラ負け。11回を投げきって18奪三振を記録したが、踏ん張れなかった。

 奇しくもこの日は、夏の甲子園優勝からちょうど1カ月後にあたる9月23日だった。新チームが動き出してから、わずか1カ月で翌春の選抜への道が断たれてしまった。

「いま思えば、(夏の甲子園からの)疲労があったのかなと思いますが、投げている時は、疲れはまったく感じませんでした。チームを背負いきれなかった、自分の器の小ささを痛感しました」

【焦りと不安と向き合う日々】

 9月の終わりから、早くも来夏を見据えた練習が始まった。見方を変えれば、夏から秋にかけての時間が十分に取れなかった分、来夏に向けた準備の時間は、シーズンオフを挟んでたっぷりと確保できたとも言える。

「冬場は走り込みよりも筋力トレーニングが中心でした。とくに、(太ももの)裏側の筋肉を鍛えるメニューに重点的に取り組みました。体重も5、6キロ増え、下半身にしっかりと筋力がついた実感がありました。春になると、腕を思い切り振らなくてもボールが走るようになり、踏ん張らずに強い球を投げられるようになった。ストレートの勢いも増し、詰まらせる場面が多くなりました」

 だがそんな自信も、夏のシード権をかけた春の府大会で崩れてしまう。初戦の龍谷大平安戦、0対0のまま試合は8回裏に突入し、先頭打者に三塁打を許すと、四球などでピンチを広げ、暴投で1点を献上。結局、その1点が最後まで重くのしかかり、試合は0対1で惜敗した。

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