公務員志望から甲子園優勝投手で一変 京都国際・西村一毅が味わったジェットコースターのような波乱の1年 (2ページ目)
入学当初、西村は外野手だった。投手へ転向したのは1年冬。そこから投手としての適性を伸ばした。その頃から常に背中を追い続けてきた存在が、1学年上の同じ左腕エース・中崎琉生(現・國學院大)だった。
「中崎さんがいたので、1試合投げると次の試合は投げることがなく、疲労はそれほどなかったです。(甲子園での)決勝戦は(ピンチからの登板だったで)いっぱいいっぱいになってしまいましたが、一周回って集中できました」
決勝の関東一戦は、2対0で迎えた延長タイブレークの10回裏から登板。無死一、二塁のピンチで、失策により無死満塁とされ、内野ゴロの間に1点を返された。それでも最後まで踏ん張り、試合を締めると、マウンド上に広がった歓喜の輪の中心に立った。
【全国制覇から1カ月後の試練】
決勝戦が行なわれたのは8月23日。翌日から新チームが始動したが、西村にとっては、この日からが本当の戦いだった。そのわずか16日後には秋の府大会を控え、京都国際に向けられる視線は、よりいっそう厳しいものとなった。
「あの景色のなかで野球をさせてもらったからこそ、もう一度、あの場所で野球がしたい。その思いだけでした。それが(最後の夏に向けた)モチベーションになっていました。だから自分としては、周囲の視線はあまり気にしていなかったつもりでした」
それでも、京都国際を語るうえで常につきまとったのは「連覇」という言葉だった。背番号1を背負う西村には、さらに大きな期待が寄せられる。一方で、これまでお守りのような存在だった中崎は、もうチームにはいない。
「それまでは3年生の存在が大きくて、自分がしっかり投げさえすれば、あとは3年生が何とかしてくれる、という気持ちでマウンドに上がっていました。でも新チームになってからは中崎さんがいなくなり、自分が引っ張らないといけない立場になって......。
ただ、当時はチームを背負えるほどの器ではなかったし、ピンチになると焦っていないつもりでも、どこかに焦りのようなものがありました。どうやってチームを引っ張ればいいのか、わからなかったというのもありました」
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