大阪桐蔭「藤浪世代」の平尾奎太が語る新たな出発 「ドラフトにかからんほうがよかった」と言える人生を (4ページ目)
「今の時代、野球でとってくれても、グループ会社採用が多いと思うんですけど、ホンダは正社員としての本社採用なんです。そこから鈴鹿製作所に出向という形になります。中に入って感じるのは、福利厚生や手当が本当に充実していてありがたいということ。そして、これだけの大きな会社だからこそ、いろんな仕事があるということです。僕らの周りを見ていると、独立して個人事業主としてやっていくのもひとつの道ですけど、縁があって入れたこの大企業のありがたさを感じながら、会社のなかでいろんなことに挑戦していきたい。営業もしたいし、海外でも働いてみたい。野球が終わった今、ここからがまた楽しみなんです」
野球一筋で生きてきた選手たちが、現役を終えたあとに生きづらさを感じるケースは少なくない。しかし、平尾の姿からは、その種の心配はまったく伝わってこない。将来的には、自身の病の経験を生かし、それを仕事にもつなげていきたい──そんな静かな思いを胸に、彼は新たな人生を歩み始めている。
【突然見舞いに来てくれた岩田稔】
大阪桐蔭時代、病を発症してどん底の気分に落ちていた頃のこと。病室に、大阪桐蔭OBで当時阪神タイガースの主戦投手だった岩田稔が、突然見舞いに訪れた。西谷が岩田に「時間があったら、励ましに行ってやってくれ」と電話を入れたのがきっかけだったが、岩田はその連絡を受けたその夜のうちに病室へ駆けつけてくれた。
「病院の大部屋で、親と一緒にテレビで阪神戦を見ていたんです。そしたら突然カーテンが開いて、『岩田です』って。『えっ......』って、ほんと、びっくりしました。サイン入りのグラブまで持ってきてくださって、そこからいろいろ話もしてもらって。さらに、その3日後の試合で岩田さんが完封して、それを見てまたしびれました。
岩田さんが糖尿病に関する啓蒙活動や、子どもたちの支援活動をされていることも知って、自分ももしプロ野球選手になれたら、経験を生かしてそういう活動をしたいと思っていたんです。プロにはなれなかったですが、これから仕事をしていくなかで、またそうした活動に携わっていけたらと思っています」
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