【高校野球】近江の新監督・小森博之は「県勢初の日本一」と「中学生に魅力を感じてもらえるチームづくり」を目指す (2ページ目)
7年前の第100回大会では、林優樹(楽天)と有馬諒(ENEOS)の2年生バッテリーを中心に甲子園ベスト8。3年前には山田陽翔(西武)を擁し、21年夏、22年夏の甲子園でベスト4。22年の選抜大会では準優勝に輝いた。
その3人はチームに欠かせない戦力だったが、コーチ時代、小森監督はレギュラーにあと一歩届かない選手に対し、中心選手の名前を引き合いに出すことはなかった。
「レギュラークラスの選手は多賀監督が見ていたので、自分はそこに割って入る、はい上がる選手を育てるのが使命だと思っていました。絶対的な選手がいるからこそ勝てたのは事実ですが、『山田が』とか『山田なら』と言い続けたら、本当に山田頼りのチームになってしまう。実際、あの年は山田のチームになる可能性もありましたから。『おまえら、それでいいのか?』と、よく言っていました」
時に熱く語りかけ、レギュラーだけでなく控え選手にもノックを打ち、対話を重ねた。担任をしていたこともあり、その学年の選手たちにはより近い距離で声をかけ、努力する選手が少しでも報われてほしいと願っていた。
【突然の監督就任に戸惑い】
そんななか、多賀監督の退任の話が出たのは昨夏頃だった。ただ小森監督は、交代は現チームが最後の夏の大会を終えてからだと思っていた。
「今のチームは多賀監督が育ててきた選手ばかりで、正直、このタイミング(4月)で交代するとは思っていなかったので......。今も多賀先生のチームだと思いながら指導しているところはあります」
多賀氏は総監督として部に残ったものの、普段の練習にはほとんど顔を出さない。教え子に気を遣わせない配慮だろう。ただ恩師が築いたものを大切にしつつ、3月の練習試合で激しい競争を促し、チームの活性化を図った。
「3月末は20日間連続で試合を組みました。あの時は自分も寮に泊まり込み、グラウンドと寮の往復だけの日々でした。とにかく経験を積ませて、春の県大会でどこまで戦えるかを見ていました」
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