父から受け継いだ名門のバトン 九州国際大付・楠城祐介監督が自身初の甲子園へ挑む2度目の夏 (3ページ目)
激動のなかで始まったシーズンは最後まで一軍に昇格することなく、オフに交換トレードでヤクルトへ移籍。2013年には二軍で打率.312、6本塁打を放ったが、小川淳司一軍監督(当時)から2年間で一度も声がかかることなく、戦力外通告を受けた。5年間でわずか1安打だった。
「楽天時代の3年間は監督が毎年変わり(野村克也監督、マーティ・ブラウン監督、星野仙一監督)、いろいろな指導者の野球を知ることができたという面では、すごくいい経験をさせてもらいました。情けない成績ではありますけど、高校、大学、社会人、プロとすべてのクラスを経験できたのは自分の強みかなと思っています」
現役引退後は父のようなスカウトになることを次なる目標に、野球塾を手伝っていた。しかし2016年、その父からお呼びがかかった。監督を務める九州国際大付の指導者が足りないので、コーチになってほしいという。
「埼玉に家を買っていたのですが、それを処分して福岡に引っ越しました。最初は3年という約束で来たんですけど、騙されました(笑)」
同年春から故郷に戻り、九州国際大付のコーチとして父を支え始め、すぐに夏の甲子園へ出場。その後はなかなか結果が出なかったが、2022年に春夏連続出場、そして翌2023年に夏の福岡連覇を果たした。その時、父は72歳。夏前には勇退を決断し、甲子園でユニホームを脱いだ。
「父は70歳前後になった時に監督交代の話もちらほらありましたが、そこから怒濤のように勝ち始めて、息子ながらにやっぱりすごいなと思いました。今でも特別顧問として残り、中学生を見にいってくれたり、B戦の采配をしてくれたりと、支えてもらいっぱなしです」
【0を1にするのはすごく難しい】
その後、学校側から監督就任を要請され、一度は固辞するも、父から説得され、あとを引き継いだ。今年で2年目。今春の北九州市長杯では注目の二刀流1年生・岩見輝晟を外野で抜擢し、本塁打を放つなど投打がかみ合い、自身初の優勝タイトルを手に入れた。
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