父から受け継いだ名門のバトン 九州国際大付・楠城祐介監督が自身初の甲子園へ挑む2度目の夏 (2ページ目)
松下政経塾の「五誓」のなかの最初の誓いである「素志貫徹」 写真は楠城監督提供この記事に関連する写真を見る
【楽天に5位で指名され入団】
松下電器では、野球選手の前に、社会人として学びを得るに十分な2年間だった。野球部員だからといって、特別扱いはなし。一般の新入社員と同じく、2週間ほどの研修をみっちりとこなした。配属部署には創業者である松下幸之助さんの「素直」という言葉が掲げられていた。
「高校生もそうですけど、素直な心を持っている選手のほうが成長しますよね。松下球場(現・パナソニックベースボールスタジアム)にも、松下政経塾(※)の『五誓』のなかで最初に挙げられている『素志貫徹の事』が掲げられており、自分の好きな言葉である『成功の要諦は成功するまで続けるところにある』が書いてあります。松下幸之助さんから受けた影響は大きいです」
※松下幸之助が1979年に設立した未来のリーダーを育成するための公益財団法人
アマチュア最高峰の大会である都市対抗にも2年連続で出場。2年目の2008年には、再びプロ注目の外野手として数球団が指名リストに挙げていた。そこには、父が編成部長を務めていた楽天も含まれていた。
「青学から先にプロに入った4人を追いかけたいという思いが強かったですね。父からは『自分と一緒のチームが嫌とかはあるか?』という確認はありました。父の息子に生まれた以上は、何を選択しても『親の七光り』と言われます。そこから逃げ出したくないという思いはありましたね」
そうして楽天からドラフト5位指名を受け、大学時代に手の届かなかったプロ入りを果たすことになる。
【プロ引退後、父の誘いでコーチに就任】
2年目の2010年に一軍に初昇格し、プロ初安打をマークするなど4試合に出場。翌2011年1月には結婚を発表し、勝負の3年目へ向けて意気込んでいた矢先に、東日本大震災が起こった。
「震災の時は教育リーグで浦和にいて、仙台に帰ることができたのは確か5月ぐらいでした。母がひとりで仙台にいたのですが、居酒屋さんの店主の方が母の面倒をいろいろと見てくださって、人の温かさや絆のようなものを強く感じることができました。震災が起こった3月11日には、自分が経験したことを生徒たちに伝えるようにはしています」
2 / 4