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ドラフト戦線を駆けるふたりのスピードスターは幼馴染 城西大・松川玲央と筑波大・岡城快生、それぞれの軌跡 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 ただし、当時は今のような飛び抜けた快足というわけではなかった。松川は「50メートル走を走ったら、6秒7くらいだったと思います」と明かす。関西OBがコーチをやっていた縁で、城西大への進学を決めた。

 岡城もまた、中学3年時に160センチに満たなかった身長が、高校3年になると180センチを超えた。3年夏はエースを務めたが、岡山大会2回戦で敗退。県内の野球関係者の間でも、ほとんど話題にならない無名の存在だった。

 そして、岡城は「強い大学で野球がしてみたい」と国立の筑波大への進学を志望する。当初は模試でD判定が続いたが、猛勉強の末に難関への現役合格を果たした。

筑波大進学後、急成長を遂げた岡城快生 photo by Kikuchi Takahiro筑波大進学後、急成長を遂げた岡城快生 photo by Kikuchi Takahiroこの記事に関連する写真を見る

【大学日本代表候補合宿で再会】

 小学生にして全国舞台を経験した松川と岡城だが、個人として全国区に躍り出たのは大学からだった。先に台頭したのは松川である。

 城西大に進学して間もなく、松川はAチームに抜擢される。初めて出場したオープン戦で、松川は投手ゴロに倒れた。一塁に向かって走る松川に、味方ベンチから「速っ!」と感嘆の声が漏れた。松川はそこで、自分の足が速くなっていることに気づいたという。

 心当たりはあった。高校3年夏が終わったあと、コロナ禍のため練習の自粛を余儀なくされる時期があった。松川はこの期間に「体重を増やそう」と決める。それまでの体重は60キロと、極めて細かった。大学入学前に70キロ近くまで体重を増やすと、動きが見違えてよくなっていた。

「たぶん筋力がいい感じについて、蹴る力がついたのかなと思います」

 小さい頃から「当てカンには自信があった」というように、もともとバットの芯でとらえる能力は高かった。体が成熟していくと、打球もどんどん力強くなっていく。松川は1年春から高打率を残し続け、1年秋から5季連続ベストナイン(1年秋のみ二塁手/2年春まで2部リーグ)を受賞する。2年からは大学日本代表候補の常連になった。

 岡城は筑波大に進学後、「技術がまったく及ばない感じでした」と壁に当たった。だが、内野から外野にコンバートされると、持ち前の運動能力を武器に台頭。打撃は万波中正(日本ハム)のように右肩にバットをかついでボールを呼び込むスタイルがフィットし、3年秋には打率.405、1本塁打、9打点、4盗塁とブレイクした。

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