【センバツ】健大高崎にタイブレークの末に敗退 明徳義塾監督が語り尽くした甲子園で勝つことの難しさ (3ページ目)
エースの池﨑が最少失点に抑え、バントを絡めて勝利をもぎ取ってきたが、この戦い方では夏は厳しいと馬淵監督は言う。
「春まではピッチャーが抑えて勝つということができるけど、夏に全国大会で勝とうと思ったら打てるバッターがふたりくらいいて、バントなど細かいこともできないと」
明徳義塾の「らしさ」が見えたのは10回表だ。ワンアウト三塁の場面でスクイズを外し、ピンチを脱した。
「あまり動く(仕掛ける)監督じゃないけど、初回からずっと見ていて『ここはスクイズでくる』と思ったので外しました。あの時だけ、ジェスチャーが大きかった。9回表のあれ(センターからの好返球でタッチアウト)はいいプレーでしたね。普通ならあればこちらの流れになるのにそうならなかった。やっぱり力の差でしょうかね」
接戦を落としたあとだけに、課題が次から次へと出てくる。
「里山はまだまだ。最後のワイルドピッチは止めてやらないと。そうしないと、ランナー三塁の時にピッチャーが低めに投げられなくなるから。まだまだ練習が足らんということでしょうね。あれはピッチャーの責任じゃない。
池?の課題はカーブが抜けること。もっと安定感がほしい。体が大きくないから『全身を使って投げないと』と思うのはわかるけど、8割くらいの力で投げても抑えられるようにならないと。じつはチェンジアップが投げられないんです。夏までに覚えてくれれば投球の幅が広がるはず」
3番の藤森も、池﨑と同様に下級生の時からチームの中心を担ってきた。
「藤森は器用で足も速い。でも、バッターはどんくさいほうがいいんですよ。『(自分には)これしかない』というほうが試合で結果が出せる。長打も打てるバッターなんで、3番としてどっしり構えてどんどん振ってもらいたい。もっとレベルの高いところで野球をやりたいのなら。本人がどう考えるかでしょうね」
この11月に古稀を迎える名将は力なく笑った。
「ミスのあるチームでは勝ち上がることができない。負けたのは監督の責任、監督が悪い。夏に40回目(の甲子園に)出られるように頑張ります。だけど、僕ももう70歳ですから。今日の寒さはこたえたよ」
著者プロフィール
元永知宏 (もとなが・ともひろ)
1968年、愛媛県生まれ。 立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)など多数。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長
フォトギャラリーを見る
3 / 3