1984年夏の甲子園〜初戦で優勝候補に逆転勝利した取手二は大はしゃぎして厳重注意を受けた (3ページ目)
【憧れはPLではなく池田】
その後も取手二は福岡大大濠を下して県勢初めての夏のベスト8入りを果たすと、鹿児島商工(現・樟南)との準々決勝も制し、これも春夏通じて県勢初の4強入り。そして準決勝では鎮西(熊本)に18対6と大勝し、ついに決勝までこぎ着けた。相手は──6月の招待試合でコテンパンにやられているPL学園である。もっとも、「私たちの憧れは、PLではなく池田でしたね」と中島は振り返る。
そう、82年夏と83年春を連覇した「山びこ打線」の池田(徳島)だ。中島らの1学年上で、エースにして4番を打つ水野雄仁(元巨人)がお気に入りで、フリー打撃の時には水野、あるいはやはり主軸だった江上光治のフォームをよくマネしたものだ。83年には、センバツを制した池田とやはり招待試合で対戦したという。
「水野さんのシュートを2安打したのをよく覚えています。シュートを予測してベースぎりぎりに立ち、投げる瞬間に30センチくらいパッと後ろに飛んで内角をさばいたんです」
中島がうれしそうに語る。前年夏の甲子園で、その水野をKOして頂点に立ったのがPLである。
木内監督は、決勝前夜のミーティングでこんなふうに表現した。
「おまえたちは去年、2年生でセンバツに出て3年生と戦った。それを考えれば今年は4年生だ。KKといっても2年生じゃねぇか。負けるわけがねえ」
ナインたちも、オレたち3年生をさしおいて、2年生が主役じゃおもしろくない。しかも、6月にはいいようにやられた。やり返す番だ。
ただ、PLの強さは尋常じゃない。強豪ひしめく大阪大会では、7試合すべてでホームランが飛び出してなんと11本。そのうちの4本は清原によるもので、茨城大会を通じて2本だった取手二のチーム本塁打をひとりで軽く上回る。エースの桑田は、38回を投げて失点わずか4、大産大高との決勝は4安打で完封している。
だが取手二は、試合開始が遅れてエンジンのかからない桑田の立ち上がりを攻めた。1回表二死から、ここまでチーム一の打率5割5分超と好調な下田和彦が二塁打でチャンスをつかみ、4番・桑原淳也のタイムリーなどで2点を先制。先発の石田は、毎回のように走者を許すがこのリードを必死で守る。
(文中敬称略)
3 / 3