1984年夏の甲子園〜初戦で優勝候補に逆転勝利した取手二は大はしゃぎして厳重注意を受けた (2ページ目)

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki

 事実、茨城大会ではなかなか調子が上がらない。この窮地を救ったのが柏葉勝己だ。変則派の左腕で、自身が「ミラクル投法」と名づけたように横手、下手、時にはクイックと変幻自在。大宮との初戦を5安打で完封するなど、茨城大会6試合で石田の倍の投球回を記録し、実質エースの活躍を見せた。かくして取手二は、3年ぶり4回目の夏の甲子園出場を決めることになる。

初戦で優勝候補の箕島に逆転勝利した取手二ナイン photo by Okazawa Katsuro初戦で優勝候補の箕島に逆転勝利した取手二ナイン photo by Okazawa Katsuroこの記事に関連する写真を見る

【初戦で優勝候補の箕島に逆転勝利】

 甲子園での初戦は、8月13日だった。この時点の取手ナインで、優勝を思い描いていたのは「吉田(剛)くらいだったかもしれません。残りのメンバーは無欲ですよ」と中島は回想する。

 なにしろ相手は、優勝候補の箕島(和歌山)なのだ。エース・嶋田章弘(元中日ほか)は、春の和歌山県大会で完全試合を達成し、夏の和歌山大会決勝でも8連続三振を奪うなど、評判の投手だ。

 なによりも、1979年には春夏連覇を達成している強豪と、当時"後進県"だった茨城のチームでは、ちょっと格が違った。取手二では当時、3年生は各クラスで行き先を決めて修学旅行に行っていたのだが、野球部員は甲子園のスケジュールと重なり、参加できなかった。だから中島らは、「初戦で負けたら、オレらもどこかに行こうぜ」と話していたほどだ。

 事実試合は初回、箕島が先発の柏葉をとらえて1点を奪い、リリーフした石田から2回、7回に1点ずつ追加し、3対0。勝負あったかに見えた。

 だが、7回まで嶋田の前に無得点だった取手二は8回、先頭打者が二塁手の悪送球で出ると、三塁打でまず1点。四球と再び送球ミスから、佐々木力の左前打で同点に追いつく。さらに三塁打と犠牲フライで一挙5点を挙げ、見事に箕島をうっちゃった。

 ちょうど8回に激しくなった雨が相手守備のミスを誘うなど、運も味方につけた勝利だが、当時PLと並ぶブランドだった強豪からの勝利に、取手ナインには「オレら、やれんのかな?」という手応えが芽生えた。

 心配された石田も、1回途中から登板して2失点と、肩の調子はよさそうだ。もっとも、試合後に引き上げたインタビュー通路で取手ナインは、喜びのあまりに大はしゃぎし、大会役員から厳重注意を受けるのだが......。

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