王貞治氏の金言を胸に相馬高・寶佑真は「約束の地」を目指す 東京五輪始球式から3年の歩み
2021年7月28日。当時、中学3年生だった寶佑真(たから・ゆうま)は、福島の県営あづま球場のマウンドに立っていた。
東京オリンピック野球競技の開幕戦となる日本対ドミニカ戦。キャッチャーを務める小泉直大とともに大役を担ったのは、2011年の東日本大震災で甚大な被害を被った相双地区の中学野球選抜メンバーだったからである。
「あづま球場のあの景色は覚えています。高校でもここで投げたいなと思いました」
始球式を務め上げた寶には、今でも胸に留めている思い出がある。
「高校野球はね、体づくりが大事だよ」
寶が声をかけられたのは、開幕戦に出席していたソフトバンクの王貞治球団会長だった。巨人の選手時代に記録した、前人未到の通算868本塁打の世界記録を誇る偉人の言葉に、襟を正す自分がいた。
相馬高のエース・寶佑真 photo by Taguchi Genkiこの記事に関連する写真を見る
【中学時代に全国大会出場】
相双地区の選抜メンバーだったように、寶は中学軟式野球で名の知れた右腕だった。
東京五輪後に開催された、「全中」と呼ばれる全国中学校体育大会に中村一中のエースとして出場。県内の私学のみならず、甲子園出場経験が豊富な東北の強豪校からもスカウトされたほどである。
そんななか寶が選んだ高校は、地元の公立校である相馬だった。
「地元の高校から甲子園に行こう」
寶を中心に全国を知る中村一中の選手たちが、決意を固めたというのだ。
「甲子園は、強豪校だけが出る場所ではないんで。中学から一緒に野球を頑張ってきた仲間と行くことができれば、高校野球が盛り上がるのかなと、みんなで話して決めました」
昨年も主戦としてマウンドに上がっていたように、「オリンピックで始球式をした少年」は着実にステップアップを遂げている。
その実力は、今や全国有数の強豪校にも通用するレベルだ。仙台育英や花巻東、日本文理との練習試合で腕試しをし、最少失点で抑えた試合もあったという。
1 / 3
著者プロフィール
田口元義 (たぐち・げんき)
1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。