日大三・三木有造監督が目指す自然体 以前は嫌われ役に徹する部長だった指揮官の表情に注目!

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

── 監督になられてから、顔つきが柔らかくなったのではないですか?

 そう尋ねると、三木有造監督は即答した。

「よく言われます」

 日大三は1997年から26年にわたり、小倉全由(まさよし)氏が監督を務めた。関東一時代を含めると甲子園通算37勝(優勝2回、準優勝2回)の名将は、ことあるごとにメディアにクローズアップされてきた。

 寮で寝泊まりし、選手と湯船でコミュニケーションをとり、選手から「監督を男にする」と慕われる。それが小倉全由という監督だった。

今年春から日大三の指揮を執る三木有造監督今年春から日大三の指揮を執る三木有造監督この記事に関連する写真を見る

【日大三の部長として26年】

 その小倉氏をコーチ、部長として26年も支えてきたのが現職の三木監督である。小倉氏が「光」なら、三木監督は「陰」。そんな対称的なイメージがあった。

 部長時代の三木監督は、険がある人物だった。選手に対しても、メディアに対しても厳しい態度で接した。小倉氏に許可を得て選手の取材のためにグラウンドを訪れたのに、険しい表情の三木部長(当時)から「あいつは調子に乗るから取材なんかしなくていいですよ」と言われたこともあった(その後、無事に取材をさせてもらえた)。失礼ながら、常に何かに怒っているように見えた。

 小倉氏が2023年3月限りで定年退職のため監督を勇退。小倉氏から禅譲される形で三木部長が監督に就任した。

 ユニホームに身をまとい、ベンチからサインを出す。時には身振り手振りを交えてアドバイスを送る。そんな今の三木監督に、部長時代の険しいムードはない。名将からタクトを預かるプレッシャーは計り知れないが、三木監督は自然体でチームを指揮しているように見えた。

 三木監督は言う。

「今まで部長をやらせてもらっていた時は、選手に何を言われても関係ないと思っていました。小倉全由という監督をどう立てるかだけを考えていましたから。でも、今は自分のことを上げてくれるコーチもいますし、選手も『三木さんとやりたい』と言ってくれています。ダメなことはダメだと言いますけど、選手がやりやすいように、自分が邪魔しないのが一番だと思います」

1 / 3

著者プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

2023年夏の甲子園、絶対に見逃せないプロ注目の20人

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る