0.8%の舞台・甲子園出場をつかんだ出会いと努力 東海大熊本星翔・玉木稜真の恩返し

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 この夏、選手として甲子園の土を踏めた高校球児は980人いる。そう聞くと多いと感じるかもしれないが、日本高野連によると全国には12万8357人の高校球児がいる。甲子園球児は全体の0.8パーセントという限られた精鋭なのだ。

 その誰もが地域のスター選手だったかといえば、そうでもない。たとえば東海大熊本星翔の玉木稜真(りょうま)は最速146キロのプロ注目右腕だが、大阪・大淀ボーイズに所属した中学時代は本人曰く「4〜5番手で全然たいしたことなかった」控え投手だった。

チームを5年ぶりの甲子園へと導いた東海大熊本星翔のエース・玉木稜真チームを5年ぶりの甲子園へと導いた東海大熊本星翔のエース・玉木稜真この記事に関連する写真を見る

【努力を重ね県内有数の好投手に】

 東海大熊本星翔の野仲義高監督が視察に訪れた際には、四死球を連発する大乱調。それでも野仲監督は玉木の投球フォームがまとまっていた点を評価し、東海大熊本星翔への進学が決まった。玉木は「声をかけてくれた監督に恩返しをしたい」と決意を胸に、実家がある兵庫・宝塚から熊本へと渡った。

 捕手の藤井風伍(ふうご)は入学して初めて玉木を見た時、「荒っぽいピッチャーだな」という印象を受けたという。

「1年生としてはボールが速いほうでしたが、コントロールが悪くて。力んで投げるピッチャーというイメージでした」

 玉木は高校入学前に野球塾に通い、投球フォームを見直している。玉木が右腕を振る位置はサイドスローに近い、いわゆる「ロースリークオーター」の角度である。少しでも制球難を克服しようと、フォーム固めに勤しんだ。

 玉木は自分自身を「すぐやめてしまう性格」と分析する。高校では、そんな自分を変えるためにある行動を開始した。

 寮で同部屋の藤井は夜になると部屋を出ていく玉木の姿を見てきたという。

「毎晩、毎晩、下に降りてシャドウピッチングをしにいくんです。朝は早く起きて、トレーニングしにいって。すごい努力家だなと思いました」

 自信のなさを補うには、練習をするしかなかった。玉木は「継続は力なり」という言葉を胸に、来る日も来る日もシャドウピッチングを続けた。下級生時から登板機会を与えられるようになったが、悔しい結果が続いた。

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