0.8%の舞台・甲子園出場をつかんだ出会いと努力 東海大熊本星翔・玉木稜真の恩返し (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 8月10日、甲子園のマウンドに立った玉木には特別な感慨があったという。

「小さい頃から見てきた景色に、プレーする立場になって自分がいて、すごい景色だなと。後ろを向いてバックスクリーンを見て、本当に甲子園だなと思っていました」

 対戦相手は静岡大会を初めて制して甲子園にやってきた浜松開誠館。玉木は立ち上がりから140キロ台のクセ球を投げ込み、浜松開誠館の強打線を封じていく。だが、玉木は内心脅威を感じていた。

「初回からバンバン振ってこられて、甘いところに投げられないとプレッシャーを感じて力んでしまいました」

 2対1とリードして迎えた5回裏。玉木が力んで投じたスライダーが真ん中寄りに入ってしまう。浜松開誠館の主砲・新妻恭介がとらえた打球はレフトスタンドへ。逆転の2ラン本塁打だった。結局、玉木は8回二死まで粘投したものの、5失点。チームは2対5で敗れた。

 宝塚から観戦に訪れた友人の前で、成長した姿を見せられたのではないか。試合後にそう尋ねると、玉木は少し首をかしげてこう答えた。

「変わったところを一番見せられるとしたら、勝つことだったので......。でも、地元の友達の『頑張れ』という応援は励みになりました」

 そして、玉木は悔しそうな表情で「とってくれた監督にもっと恩返しがしたかったです」と悔いを口にした。

 今後は大学に進学し、4年後のプロ入りを目指す。甲子園で強打線と対峙し、「低めにコントロールできなければ通用しない」と痛感した。まだ野球人生が続く玉木にとって、得難い体験になったことだろう。

 どのタイミングで伸びるかは、人それぞれ。玉木稜真は出会いと努力で別人のように進化し、0.8パーセントしか立てない夢の舞台で輝いてみせた。

プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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