金光大阪、大阪桐蔭、履正社の不思議な三角関係...「2強時代」に待ったをかけるか (3ページ目)
1998年から金光大阪の指揮を執る横井一裕監督この記事に関連する写真を見る
【大阪桐蔭、履正社との不思議な三角関係】
じつは、金光大阪には「桐蔭キラー」の呼び声がある。
2002年にセンバツ初出場を果たした金光大阪だが、その名が一躍全国区になったのは、中田翔(現・巨人)がエースで4番の大阪桐蔭を決勝で下した2007年夏だった。
そしてこの翌年の秋も陽川尚将(現・西武)が4番を務め、近畿大会で再び大阪桐蔭を下し、センバツ出場。2019年夏も延長14回、タイブレークで下し、今年の春は決勝で2対1と勝利。さらに遡れば、横井監督が初めて指揮を執った1998年夏もサヨナラで大阪桐蔭を破っており、これが"桐蔭キラー物語"の始まりだった。
大阪桐蔭が初めて戦いの舞台に登場した1988年以降、夏は9回対戦して金光大阪の3勝6敗。特筆すべきは、勝利した3試合はすべて1点差で、敗れた試合も1点差が2回、2点差が1回といったように、とにかく粘り強い。誰もが認める「全国屈指の強豪校」である大阪桐蔭相手に一歩も引かない。
だがその一方で、大阪桐蔭とともに"2強"を形成してきた履正社には苦手意識があるのか、夏の大会に限れば0勝5敗と、一度も勝ったことがない。横井監督は言う。
「僕が監督になった98年以降は夏に限らず、履正社には公式戦で1回も勝っていないはずです。だから(前監督の)岡田(龍生)先生は、金光をカモやと思っていたはずです(笑)」
だとすれば、履正社の監督が代わり、流れが変わることも?
「いや、多田(晃)監督になっても、去年の夏にボロ負けしましたから(笑)」
センバツ大会でベスト8の勢いを持って挑んだ昨年夏、金光大阪は5回戦で履正社と対戦し0対10のコールド負けだった。大阪桐蔭との対戦と違い、大味な内容での完敗。なぜ履正社には勝てないのか。
「ウチが粘る展開に持っていく前に、一撃喰らってしまうんでしょうね。桐蔭のほうがある意味、ウチの戦いにハマるというか......履正社とは噛み合わず、ズレているという感じですね。ロースコアの展開になった時でも、履正社との試合は淡々と進んでいくんですが、桐蔭とはどこかでぐちゃぐちゃになってしまうんです」
泥臭い野球小僧の集団が粘って、粘って......金光大阪と大阪桐蔭の野球には、どこか根っこの部分で通じる質を感じる。それがしばしば絡み、もつれ、好勝負も生み出すのか。その一方で、履正社は夏の大阪桐蔭に2020年の独自大会での勝利を除けば12連敗中である。
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