金光大阪、大阪桐蔭、履正社の不思議な三角関係...「2強時代」に待ったをかけるか
【部員数100人を超す大所帯】
春の大阪大会で見た金光大阪の2試合のスコアを眺めていると、このチームのカラーがぼんやりと伝わってくるようである。
4回戦 対北野高校(10対8)
決勝 対大阪桐蔭(2対1)
4回戦で対戦した北野は府内屈指の進学校にして、1949年にはセンバツ優勝の古豪でもある。近年も堅実な戦いで、1つ、2つ......と勝ちを重ねており、侮れないチームだ。ただ、北野とは昨年秋にも対戦し、その時は7回コールド(7対0)で金光大阪が勝利している。
金光大阪の左腕エース、キャリー・パトリック波也斗この記事に関連する写真を見る 昨年秋以来の対戦となったわけだが、試合前のシートノックやブルペンでの投球練習を見ると、両者の間には明確な力の差を感じた。
ところが1回表、北野がまさかの一挙7点を先制したのだ。アンラッキーな失点があったとはいえ、7点である。スタンドも「何事か......⁉︎」と大いにざわついた。
しかし2回裏、金光大阪はすぐさま6得点。頭に浮かんだ番狂わせの筋書きは早々に修正され、逆にコールドで勝利するのではないか......という展開がよぎった。だが、エースのキャリー・パトリック波也斗を投入し、試合を落ち着かせたが攻めが続かず、結局9イニングを戦い10対8。金光大阪にとっては反省多き一戦となった。
このチームがそれから約2週間後、決勝まで勝ち進み、大阪桐蔭を倒すとは......。さらに言えば、近畿大会で準優勝するとは......。この時点では、誰ひとりとして予想する者はいなかったはずだ。しかし、これが金光大阪というチームなのだ。
激戦区・大阪から本気で甲子園を目指す私学でありながら、来る者は拒まず。部員は一般受験の生徒も含め、今年もゆうに100人を超える。寮を持たず、中学時代に名だたる結果を残したスター選手が揃うこともまずない。
チームの紹介記事を書くなら「一体感」「一丸」「全力」「仲間のために」といったフレーズが並ぶ。こんな手作り感が漂うチームは、横井一裕監督が四半世紀の間、熱を注ぎ、築き上げてきた。
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著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。