埋もれていた二刀流の超逸材 太成学院大・田中大聖は「バリバリの孤独」でも最速153キロで俊足強打 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

 もともと大学では野球を続けないつもりだった。

「甲子園には奥川くん(恭伸/現ヤクルト)とかレベルの高い選手がいて、衝撃を受けました。自分はベンチで見ているだけで、試合にも出られなくて。自分には無理やと、野球をやめようと思いました」

 それでも、家族の説得を受けて田中は大学でも野球を続けることにした。「親に極力負担をかけないように」と、自宅から通える太成学院大を選んだ。

【バリバリ孤独ですよ】

 ここから田中の運命は音を立てて変わり始める。高校時代に右ヒジを疲労骨折していたこともあり、入学時点の田中はリハビリ段階にあった。コロナ禍で全体練習ができなかったこともあり、ヒマを持て余した田中はスポーツジムに通い詰める。

 そこではさまざまな人がトレーニングに励んでいた。田中はトレーニング姿を観察し、気になる人を見つけるたびに声をかけていった。

「ボディビルの大会に出ている人や、トレーナーとして働いている人、いろんな人に話を聞きました。知識を持っている人はすごく知っていて、ボディビルダーの方からは『見せる筋肉とスポーツをやる筋肉はつけ方が違う』といろいろ教えてもらいました」

 高校時代に178センチ、77キロだった体は地道なトレーニングによって着実に大きく、たくましく変貌していった。現在は体重95キロまで増え、太もも周りは71センチを数える。

 フィジカルが強くなるたび、田中のパフォーマンスは飛躍的に向上した。大学2年時には当時の監督から「絶対にプロか社会人に行け」と勧められ、より意欲的に取り組むようになった。

---- ベンチでくすぶっていた高校時代から、世界が変わったんじゃないですか?

 そう聞くと、田中は意外にも首を横に振ってこう答えた。

「大きく変わったことはないです。高校時代からずっと全力でやってきましたし、結果が少しずつついてきただけで特別に何か変わったということはないですね」

 サボろうと思えばいくらでもサボれる練習環境でも、田中は努力を続けた。練習を手伝ってくれる仲間はいるが、本気でプロを目指して練習するのは田中だけ。「孤独感はないですか?」と尋ねると、田中は「バリバリ孤独ですよ」と笑い、こう続けた。

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