龍谷大平安のアルプスから奏でられる魔曲「あやしいボレロ」の発案者は、なんとあのレジェンド左腕だった

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 清原和博氏の甲子園来場で話題となったセンバツ大会4日目。レジェンドの息子が登場した慶應義塾対仙台育英の前に行なわれた第2試合でも、かつての甲子園のヒーローが聖地への帰還を果たしていた。

 1997年夏の甲子園で、決勝までの6試合、820球をひとりで投げ抜き、平安(現・龍谷大平安)を準優勝に導いた伝説のエース・川口知哉だ。

 高校時代の面影は消え、苦しみ抜いたプロでの7年、指導者としての経験を積んだ女子プロ野球での約10年を経て、昨年母校のコーチに就任。高校野球の指導者として新たな一歩を踏み出すと、今春、チームは4年ぶりのセンバツ出場を決め、初戦で勝利を挙げた。

97年夏「あやしいボレロ」とともに快進撃を続けた平安・川口知哉97年夏「あやしいボレロ」とともに快進撃を続けた平安・川口知哉この記事に関連する写真を見る

【母校のコーチとなって初の甲子園】

 逆転で勝利した長崎日大戦の試合後、報道陣からの求めに26年ぶりに立った甲子園の感想を語っていた。

「(試合前の練習で)グラウンドに入った瞬間、もっと感慨深くなるかなと思ってたんですけど、そうでもなくて。それより戦闘態勢に入っている自分がいました。そういう意味での懐かしさですね。そのなかで勝てたということは、ひとつの結果としてよかったなと思いますし、正直ホッとしました」

 そこからしばらくは試合の振り返りが続き、ひと段落したところで聞いてみた。「スタンドから聞こえるボレロは別格だった?」と。これには視線を少し遠くに向けながら、噛みしめるように言った。

「やっぱり甲子園で聴くと違いますね。アルプスもいっぱいで、そしてこの曲。心揺さぶられるものがありました」

 センバツ開幕が迫っていた3月半ば。平安ボールパークで行なわれた練習試合を訪ねた。本番前の最終調整ということもあり、ネット裏で並んで観戦した川口はバッテリーを中心に選手たちの動きに目を配りながら、忙しくしていた。5回終了時に、グラウンド整備でひと息入ったところで聞いてみた。

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プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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