表舞台から消えたふたりの天才投手が苦難を経て大学デビュー 「世界一の野球選手になる」目標は変わらない

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

 投手とは繊細な生き物だ。

 故障やふとした拍子に投球感覚を見失い、本来のパフォーマンスを発揮できなくなる。将来を嘱望された有望選手がマウンドから姿を消し、「消えた天才」などと称されることも珍しくない。

 そうした哀しい現実を知る者としては、日本体育大の健志台野球場で見た希望に胸を震わせずにはいられなかった。

 3月4日、敬愛大とのオープン戦で日本体育大のふたりの大器が「大学デビュー」を飾っている。

大阪桐蔭から日体大に進んだ関戸康介大阪桐蔭から日体大に進んだ関戸康介この記事に関連する写真を見る

【中学時代に146キロをマーク】

 新2年生の関戸康介は、最速150キロをマークするなど1イニングを投げて打者3人から2三振を奪った。身長177センチ、体重81キロの均整のとれた体つきと、打者に向かって加速するような迫力のある体重移動。この日登板した日本体育大の5投手のなかでも、ボールの勢いは頭ひとつ抜けていた。

「実戦は高校3年の夏前以来だったんですけど、いい緊張感のなかでいい準備ができました。先輩方が守ってくださって、いいマウンドになりました」

 関戸は小学生時から全国区の知名度を誇る大物である。小学6年時にはソフトバンクジュニアに選ばれ、12球団ジュニアトーナメントで最速129キロをマーク。中学入学時に長崎から高知へと渡り、強豪・明徳義塾中では同期の田村俊介(現・広島)とともに看板選手に。中学生にして最速146キロをマークし、3年夏の全日本少年軟式野球では準優勝している。

 大阪桐蔭に進学後、最高球速は154キロまで伸びた。高校3年春のセンバツでは小園健太(現・DeNA)らとともに「大会ビッグ4」に数えられた。

 だが、関戸の甲子園デビューは痛々しいものになった。ボールが指にかからず、捕手が手を伸ばしても届かないような大暴投が続く。1回3分の1という短いイニングで記録した暴投数は4。以来、関戸の姿は表舞台から消えてしまう。

 あの時、何が起きていたのか。あらためて関戸に尋ねてみた。

「冬の練習でバントした時に右手の人差し指を詰めて(挟んで)しまって。その前の春にも同じようにバントで右手の中指を詰めていたんですけど、そこから指先の感覚が戻らなくて。甲子園で投げたようなボールがずっと続いていました」

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