表舞台から消えたふたりの天才投手が苦難を経て大学デビュー 「世界一の野球選手になる」目標は変わらない

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

 寺西の名前が全国区になったのは、2018年夏の甲子園でのことだ。当時星稜に在学し、1年生だった寺西は同期の内山壮真(現・ヤクルト)とともに「スーパー1年生」と注目された。身長186センチの長身ながら、端正な投球フォームで最速143キロをマーク。その時点での寺西は、2年後のドラフト会議の主役になっても不思議ではない金の卵だった。

 だが、順風満帆だった野球人生に影が差したのは、高校2年の夏だった。右肩を痛め、3年時には手術を経験。大学進学後もリハビリは続き、寺西は「よくなったと思ったら悪くなるの繰り返しでした」と振り返る。

「3年間」と口にすれば一瞬だ。だが、光の見えない暗闇でもがく時間は限りなく長く感じたに違いない。寺西のリハビリを伴走してきた辻コーチは言う。

「丁寧に時間をかけて、練習で何球投げたら何日も間隔を空けて......と慎重に手順を踏んできたんです。去年の秋前になって『ようやく希望の光が見えてきた』と感じた矢先に、また肩が痛くなって。あぁ、また1からやり直しか......と。あきらめてもおかしくない、苦しい日々だったと思います」

 失意の寺西を支えたのは、家族からの励ましの声だった。とくに母・智江さんに「また投げる姿を見てもらいたい」という思いが原動力になった。

「ウチの母はすごく心配性なのか、寮で食べるものの仕送りを頼むと手紙がついてるんです。『一歩一歩、焦らずにいこう』とか添えてあって、めっちゃ心配かけてるなと。信じて応援してくれる家族のために、『ここまで投げられるようになったんだよ』って姿を見せたかったんです」

 悪戦苦闘する寺西に、ようやく光が差し込む。大学OBの柴田大地(現・ヤクルト)が通った病院を受診したところ、そのリハビリ方法が肌に合ったのだ。肩の痛みは少しずつやわらいでいった。

「痛くなかった頃と比べると、温まるまで時間がかかります。入念にインナー、キャッチボールをしてから、ブルペンに入るようにしています」

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