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島を出た「奄美の神童」と島に残った「大野稼頭央」の数奇な野球人生 「甲子園で、島のみんなと戦いたかった」 (4ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro,Ohtomo Yoshiyuki

 2年夏以降の求は、苦境が続いた。右肩を痛め、その後は「投げ方を気にしてしまって」と不振から脱出できなかった。夏の大会後には慕っていた門馬監督が退任し、原俊介監督が就任した。それでも「もともと得意だった」という打撃面で貢献。監督交代に関しても、「野球をやるのは自分たちなので」と動じることはなかった。

 ある日、求は有望選手を紹介する動画に目を留め、仰天した。そこに2年生ながら「プロ注目選手」として大野が紹介されていたのだ。

「あの稼頭央だ! 身長が大きくなってる! 顔つきが少し大人びているな。えっ、146キロも出るの?」

 求の最高球速は144キロだった。大野を擁する大島高校は秋の九州大会準優勝と結果を残し、実力でセンバツ切符を勝ちとった。一方、求の東海大相模は関東大会ベスト8。選出当落線にいたが、結果的に落選している。

「甲子園で、島のみんなと戦いたかったな」

 無念を押し殺し、求はテレビで大島高校の晴れ舞台を見つめた。守備の乱れから明秀学園日立(茨城)に大量失点を許したが、その点も含めて「大島らしい」と感じた。

【夏休みに奄美の旧友と再会】

 高校最後の夏はお互いに県大会決勝で惜しくも敗れ、甲子園出場はならなかった。そして夏休みを利用して奄美大島に帰省した求は、大野や西田たちと再会する。古仁屋の友人とともに、キャッチボールなど野球を楽しんだ。

「稼頭央も心太朗もあまり変わってなかったですね。稼頭央なんて甲子園に出てチヤホヤされてもテングにならずに、相変わらず謙虚でやさしかったですね。めちゃくちゃ純粋な子ですよ」

 2022年10月20日のドラフト会議で、大野はソフトバンクから4位指名を受けた。奄美大島の高校生がドラフト指名されるのは初めてのこと。求はひとりの球友として大野の指名を祈り、ドラフト後にはLINEで祝福のメッセージを送っている。

 求自身はプロ志望届を提出せず、大学進学を選んだ。投打ともに高い評価を受けていたが、自身のなかでは「どっちもダメダメ」という実感があった。

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