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ノーシードの英数学館はなぜ絶対王者に勝利できたのか。指揮官が明かす打倒・広陵への綿密な計画 (4ページ目)

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota

 成果は着実に表れた。5、6月の練習試合で、直球の最速は130キロ弱ながら、コースを丁寧に突く制球力を武器に好投を続け、夏の主戦格に躍り出たのだ。

 6月以降は末宗以外にも投打がかみ合い始め、勝ち星を重ねて自信を深めた。が、夏の大会のメンバー発表後に行なった、大会前最後の練習試合の1試合目で逆転満塁本塁打を浴びて敗戦。一転チームの士気が下がりかけたが、同日の2試合目に実施した、ベンチに入れなかった3年生ふたりの引退試合が流れを引き戻した。

「1試合目でダメージのある負け方をして、このまま夏の大会に入るのは嫌だなと思っていたなかで、2試合目がいま振り返っても本当にいい試合だった。夏のメンバーから漏れた2人が、揃ってヒットを打ってくれて、ベンチが盛り上がって、最後は全員が涙する、めちゃくちゃいい試合。この時、『嫌な負けも消せるだけのチーム、いいチームになってきた』と実感しました」

 周りから同情される抽選結果にも、「勝てないという思い込み」を捨て、春以降の実戦で自信を深めた選手たちは動じなかった。クジを引いた主将の関大智は「楽しみ、やってやるぞという思いだけでした」。選手たちは意気込んでいた。

【かつてないチームの仕上がり】

 黒田も、かつてないチームの仕上がりに「今までで一番いい夏の入り方ができる」と手ごたえを感じ、夏の初戦も快勝した。一方で「それでも、広陵は......」という不安はぬぐい切れなかった。その思いは、広陵の初戦である広島新庄戦を視察した際に大きく膨らんだ。

「初戦で投げた中谷(悠太)くんのスライダーを見て、正直打てるわけがないと思いました。先発した高尾(響)くんも含めて、うちが何点もとるのは難しい。『勝つならロースコアしかない』と覚悟しました」

 春以降、センバツまでエースだった本格派右腕の森山陽一朗が調子を崩しており、広陵に唯一つけ入る隙があるとすれば、ここだった。だが、センバツでベンチ外だった左腕の中谷が台頭し、夏初戦でも4回から6イニングを投げ、1安打7奪三振の快投。低めに鋭く曲がり落ちるスライダー、140キロ台中盤に迫る直球で、主戦格に躍り出ていた。

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