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「松井秀喜は非の打ち所がなかった」。帝京名誉監督・前田三夫が「楽しかった」と振り返る、明治神宮大会の思い出 (3ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

松井秀喜と対戦「逃げるな、ここは勝負だ」

 そして1991年、やはり決勝に進み、そこで対戦したのが星稜(石川)だった。この時、星稜の4番打者として注目されていたのが松井秀喜だ。

「噂には聞いていましたが、松井の印象はまさに強烈。バッティングの鋭さは当然のことながら、バッターボックスに立った時のたたずまい、風格。高校生とは思えない落ち着きといい、非の打ち所がなかった。

 この選手に帝京の投手陣が通用するのか。エースの三澤(興一)には、『最後は四球になってもいいからコースを狙って中途半端な投球はするな』と指示を出し、結果的に3打席とも四球に。迎えた最後の打席では、『逃げるな、ここは勝負だ』と声をかけたんです」

 三澤が勝負にいった球に、松井は鋭く反応。当時、球場は狭い神宮第二を使っており、簡単にフェンス直撃弾を打たれてしまった。スイングの速さ、打球の勢いといい、同じ高校生なのかと疑いたくなるほどのひと振りだったという。試合は7回に大量点を取られ、8−13で敗れた。

 こののち、1995年の大会で、帝京は明治神宮大会2度目の優勝を飾る。前年のチームが夏の甲子園決勝で星稜を破り、全国優勝した直後のことだった。そんな帝京が最後に明治神宮大会に出場したのは、2009年の第40回大会。もう13年も前の話になる。

「神宮大会は楽しかったですよ。各地区の代表が集い、どれくらいの戦力を持って戦うのか、レベルをある程度知ることができるから勉強になることが多かった。現役の指導者には、できれば球場に足を運び積極的に観戦してほしいですね。もちろん、プレーする選手たちも。大学生の試合も見られてとても参考になるはずです」

 明治神宮大会をはじめ、甲子園などの現役監督時代のエピソードは、前田監督の著書『鬼軍曹の歩いた道』(ごま書房新書)で多くを知ることができる。

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【プロフィール】
前田三夫 まえだ・みつお 
1949年、千葉県生まれ。木更津中央高(現・木更津総合高)卒業後、帝京大に進学。卒業を前にした1972年、帝京高野球部監督に就任。1978年、第50回センバツで甲子園初出場を果たし、以降、甲子園に春14回、夏12回出場。うち優勝は夏2回、春1回。準優勝は春2回。帝京高を全国レベルの強豪校に育て、プロに送り出した教え子も多数。2021年夏を最後に勇退。現在は同校名誉監督。

【著者プロフィール】
藤井利香 ふじい・りか 
フリーライター。東京都出身。ラグビー専門誌の編集部を経て、独立。高校野球、プロ野球、バレーボールなどスポーツ関連の取材をする一方で、芸能人から一般人までさまざまな分野で生きる人々を多数取材。著書に指導者にスポットを当てた『監督と甲子園』シリーズ、『幻のバイブル』『小山台野球班の記録』(いずれも日刊スポーツ出版社)など。帝京高野球部名誉監督の前田三夫氏の著書『鬼軍曹の歩いた道』(ごま書房新書)では、編集・構成を担当している。

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