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「松井秀喜は非の打ち所がなかった」。帝京名誉監督・前田三夫が「楽しかった」と振り返る、明治神宮大会の思い出

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

前田三夫(帝京名誉監督)の明治神宮野球大会観戦記【番外編】

「監督クビ」から救った一発

 帝京の前田三夫名誉監督(以下、前田監督)が現役指導者だった時に、明治神宮野球大会に出場したのは計8回。初出場は監督就任11年目の1982年だった。その年、帝京は秋季東京大会を初めて制す。桜美林と優勝を争い、9回裏にサヨナラホームランが飛び出す劇的な勝利だった。

40年以上前、若かりし日の帝京野球部の前田三夫・現名誉監督 写真提供/前田三夫40年以上前、若かりし日の帝京野球部の前田三夫・現名誉監督 写真提供/前田三夫この記事に関連する写真を見る この試合は前田監督にとって、忘れたくても忘れられない一戦のひとつだ。というのも、この大会で優勝できなかったら「監督クビ」を宣告されていたからである。

 1980年、2年生投手・伊東昭光(元ヤクルト、現ヤクルト編成部長)を擁してセンバツ準優勝を果たしながら、伊東の3年最後の夏に都大会初戦コールド負けを喫し、OBが騒ぎ出したのが主たる原因だ。

 そんな前田監督の窮地を救い、起死回生の一発を放ったのは、中学時代まったくの無名で、しかも一般入試で入ってきた池田幸弘だった。

「走っている後ろ姿を見た時、脚の蹴り方に脚力と体幹の強さを感じ、外野手として起用したんですよ。その選手が思いがけない活躍をしてくれました。もし負けていたら、その後の私の野球人生はなかったわけです」

現在は帝京名誉監督を務めている現在は帝京名誉監督を務めているこの記事に関連する写真を見る

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