小倉清一郎が選出した横浜高校歴代エースベスト5。「松坂も涌井も入学時は普通の投手だった」

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 春夏合わせて全国制覇5回の名門・横浜高校野球部の監督・部長を歴任し、50人以上もの選手をプロへ送り込んだ小倉清一郎氏。横浜高校の生き字引とも言える小倉氏に、歴代エースベスト5を選出してもらった。

高校3年時に甲子園春夏連覇を達成した松坂大輔高校3年時に甲子園春夏連覇を達成した松坂大輔この記事に関連する写真を見る

松坂大輔(西武ドラフト1位)

 まず松坂は外せない。高校3年時に甲子園春夏連覇を果たし、夏の決勝(京都成章戦)でのノーヒット・ノーランなど、いまさら説明の必要はないだろう。

 そんな松坂だが、高校入学時は全然たいしたことのない普通の投手だった。ただ、投げ終えたあとのフォロースルーの右手が背中のほうまで届いていた。小学校の頃、剣道をやっていたそうなのだが、それによって背筋が鍛えられたのだろう。

 富士山の登山に例えれば、徐々にではあったが、確実に頂上を目指し、順風満帆だった。普通の投手は途中でひと休みするものだが、松坂にはそれがなく、一気に駆け上がっていった。

 基本タフだから、1日800球投げたこともあった。今の時代、こんなことをすればお叱りを受けるだろうが、当時は1日500球なんてザラだった。それが夏の甲子園準々決勝のPL学園戦の延長17回、250球の完投勝利につながったのだろう。

 松坂は覚えも早かった。スライダーを教えたら、ほんの5、6球でコツをつかんで自分のモノにした。高校2年春に前橋工業戦で142キロを出した時に、ドラフト1位になると確信した。

 プロ入り後は、日本シリーズ、ワールドシリーズ、WBC制覇など、数々の勲章を手にした。オレは200勝すると思っていたが、日米通算170勝。股関節が硬いから、メジャーのマウンドに合わなかったんだろうな。プロ11年目あたりからずっとリハビリを重ねていた。

 日本球界復帰後は、往年の投球フォームは見る影もなかった。高校を卒業してプロに入って、3年連続最多勝。そこで勝負の世界を少し甘く見てしまったのかもしれない。そこが残念だった。

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