2022.06.23

小倉清一郎が選出した横浜高校歴代エースベスト5。「松坂も涌井も入学時は普通の投手だった」

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 春夏合わせて全国制覇5回の名門・横浜高校野球部の監督・部長を歴任し、50人以上もの選手をプロへ送り込んだ小倉清一郎氏。横浜高校の生き字引とも言える小倉氏に、歴代エースベスト5を選出してもらった。

高校3年時に甲子園春夏連覇を達成した松坂大輔高校3年時に甲子園春夏連覇を達成した松坂大輔 この記事に関連する写真を見る

松坂大輔(西武ドラフト1位)

 まず松坂は外せない。高校3年時に甲子園春夏連覇を果たし、夏の決勝(京都成章戦)でのノーヒット・ノーランなど、いまさら説明の必要はないだろう。

 そんな松坂だが、高校入学時は全然たいしたことのない普通の投手だった。ただ、投げ終えたあとのフォロースルーの右手が背中のほうまで届いていた。小学校の頃、剣道をやっていたそうなのだが、それによって背筋が鍛えられたのだろう。

 富士山の登山に例えれば、徐々にではあったが、確実に頂上を目指し、順風満帆だった。普通の投手は途中でひと休みするものだが、松坂にはそれがなく、一気に駆け上がっていった。

 基本タフだから、1日800球投げたこともあった。今の時代、こんなことをすればお叱りを受けるだろうが、当時は1日500球なんてザラだった。それが夏の甲子園準々決勝のPL学園戦の延長17回、250球の完投勝利につながったのだろう。

 松坂は覚えも早かった。スライダーを教えたら、ほんの5、6球でコツをつかんで自分のモノにした。高校2年春に前橋工業戦で142キロを出した時に、ドラフト1位になると確信した。

 プロ入り後は、日本シリーズ、ワールドシリーズ、WBC制覇など、数々の勲章を手にした。オレは200勝すると思っていたが、日米通算170勝。股関節が硬いから、メジャーのマウンドに合わなかったんだろうな。プロ11年目あたりからずっとリハビリを重ねていた。

 日本球界復帰後は、往年の投球フォームは見る影もなかった。高校を卒業してプロに入って、3年連続最多勝。そこで勝負の世界を少し甘く見てしまったのかもしれない。そこが残念だった。