「監督なんてやるつもりはなかった」。センバツを最後に勇退する東洋大姫路・藤田監督の人望に敵将も感動
雨により1日遅れで開幕した高校野球選抜大会。3日目の第3試合に登場する東洋大姫路の藤田明彦監督は、今大会を最後にグラウンドを去る。東洋大学の職員として出向という形で2期にわたり通算19年、東洋大姫路の監督を務めたが、今回65歳をもっての定年となる。
チームは2011年夏を最後に甲子園から遠ざかり、近年は厳しい戦いを強いられていたが、そのなかで手にしたセンバツ出場。出来すぎなストーリーにあらためて思ったのは、藤田の人間としての魅力だった。
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名将・西谷浩一も感動の出来事
「あの時はちょっと感動しました」
大阪桐蔭の西谷浩一監督が振り返ったのは、昨年秋の近畿大会での一コマだ。東洋大姫路と智弁学園の初戦。大阪桐蔭はこの勝者と準々決勝で戦うことになっており、西谷監督は偵察も兼ねてスタンドで観戦することにした。
試合前、通路を歩いていると同世代と思われる男性数人から「西谷監督!」と声をかけられた。
「私のところに来て、『一生の頼みや。藤田さんを男にしたってくれ! この試合に勝てば、次が(大阪)桐蔭や。勝たしてくれとは言わん。でもな、西谷監督も(同じ兵庫の)報徳の人間や、わかるやろ。頼む!』と。冗談っぽくではなく、本気の表情で言われて......。わかりましたとも言えないけど、想いが伝わってきて言葉が出ませんでした。もともと東洋ファンは熱いんですけど、これは藤田さんだから。ファンの人が直接こんなことを言いに来るってあります? 自分が辞めるとなった時に、こんなことを言ってくれる人がいるかって考えたらなかなか......。あらためて藤田さんのすごさを思い知らされたというか、あの日はちょっと感動しました」
その後、準々決勝で対戦し、大阪桐蔭が勝利したのだが、兵庫の1、2位校が初戦敗退するという追い風もあって東洋大姫路がセンバツ出場を決めた。
藤田の勇退に関し、兵庫県内のある野球部の監督から私のもとにメールが届いた。
「立ち姿がかっこいいんですよ。古き良き高校野球の形がまたひとつなくなります」
表裏なく、真っすぐで熱い。ピンと背中が張った立ち姿。試合用のユニフォームもいいが、真っ白な練習着が抜群に似合う人だった。
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