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ドラフト漏れも揺るがない思い。
NTT西日本・宅和は東京ドームで恩を返す (2ページ目)

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

 ただ、この夏のブルペン投球が、その後の野球人生につながった。ブルペンで投じていた力強い腕の振りと威力のあるボールが、夏の大会の視察に訪れていた大阪商業大のスカウトの目に留まったのだ。

「もしまだ進路が決まっていないのなら、ぜひウチに」。こう声をかけられた宅和は、翌春に大阪商業大に入学。高校時代140キロ前半だった球速を148キロに伸ばし、2、3年生時代には「ドラフト候補」として名前が挙がるようになっていった。

だが高校時代と同じく、ここでも故障に泣かされる。大学4年時に左肩を痛め、プロ球団からの評価が下降したのだ。ドラフト指名は厳しいラインになったが、兼ねてからその能力を買っていたNTT西日本から声がかかった。宅和は言う。

「高校から大学に進む時、そして大学から社会人に進む時。大事なところでケガをしてしまって、野球人生が終わってもおかしくないのに、拾っていただいて、ここまで野球が続けられている。高校時代も大学時代も、才能に恵まれているのに、縁やめぐり合わせの関係で野球継続を断念する仲間をたくさん見てきました。そういったなかで、自分は本当に恵まれていると思います」

 高3夏のケガの回復具合が遅く、ブルペン投球ができなかったら、大学4年時の故障を社会人側が敬遠していたら......。"たられば"を言っても仕方がないが、少しのボタンの掛け違えで宅和の野球人生が途絶えていた可能性は十分ある。

 さまざまな縁で野球人生が拓けたことで、社会人野球の最高峰とも言える舞台で投げ、再びプロのスカウトもマークする存在となった。自身の経験が野球を継続することの希望を物語っている。

「毎年、年末に地元に帰った際は母校のグラウンドにお邪魔するんですが、『いい選手だな』と思って、学生たちに上で野球をやるか聞いてみると、ほとんど『やるつもりはありません』と言うんです。かつての自分もそうだったのですが、大学以降の野球に触れる機会がないから続けるイメージを持ちづらい。せっかく可能性があるのに、すごくもったいないことだと思うんです」

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