記録的猛打から20年。智弁和歌山
OBが語るあの夏の記憶と「根性論」 (4ページ目)
強肩・強打の捕手として智弁和歌山の全国制覇に貢献した後藤仁氏 それにしても、なぜここまで打ち勝つことができたのか。ストレートな問いに後藤は「時代が違うから仕方ないのですが」と前置きしたうえでこう語った。
「根性論というのがまだ残っていた時代だったと思います。『自分たちは絶対に負けない』『打ち負けない』っていう自負がありました。センバツのこともあったし、夏こそはという気持ちが強かった。だから、猛練習にも耐えられることができた。あの夏の記録が残っているおかげで、今でもこうやって思い出してもらえる。ありがたいです」
甲子園で通算68勝を挙げた高嶋監督は2018年の夏を最後に勇退し、中谷仁が監督に就任した。今も"強打の智弁和歌山"は健在だが、投手は昨年の池田陽佑(ようすけ/現・立教大)に続き、この夏も小林樹斗が150キロをマークした。
「自分たちの時にそれだけのピッチャーがいたら......とは思いますが、もしいたらあそこまで打てていないと思います。智弁和歌山の投手がいいって、ある意味"らしくない"ですよね(笑)。高嶋先生から中谷さんに監督が代わり、野球のスタイルも変わった。また新しい智弁和歌山になっていくと思うと、OBとしても楽しみです」
ちなみに、いまやすっかり智弁和歌山の名物応援曲となっている『ジョック・ロック』は2000年春から演奏されることになったのだが、同じくよく演奏される『サンバ・デ・ジャネイロ』は2000年の夏から使用されている。選曲にあたり、こんなエピソードがあったという。
「じつは僕らのクラスに応援団のやつがいて、新曲を披露するのにいい曲はないかという話になったんです。その時、僕が海外の名曲を集めたCDアルバムを持っていて、そのなかに『サンバ・デ・ジャネイロ』が入っていたんです。それで自分が『これがいいんじゃないか』と言って決まったんです」
記録にも記憶にも残った2000年の夏。あれから20年の時を経て、智弁和歌山はどんな伝統を紡いでいくのだろうか。
4 / 4