何から何まで狂ってしまった大学時代。島袋洋奨はホークス戦力外を経て母校へ (4ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin
  • photo by Matsunaga Takarin

 大学時代から島袋を見ていたパフォーマンスドクターの松尾祐介はこう語る。

「プロに行くような選手は持って生まれたセンスがあるため、幼い頃から人に教えられなくても勝手に身体が動いていいプレーができてしまう。そのため、できているプレーに対して見つめ直すことをあまりしない。だからトレーニングひとつをとってみても、自分で検証せずに間違ったトレーニングを受け入れてしまい、その結果、感覚がおかしくなってイップスにつながるケースもあります。

 メンタルを整えることで治るイップスはむしろ軽度なんです。イップスは、身体の回路まで変わってしまうことがあります。技術で補える時もあれば、重度の場合は身体の形まで変わってしまうこともあります。島袋くんの場合は、メンタルの部分もありましたが、身体のほうを変えていかなくてはいけない状態でした。いい感覚を取り戻すには、以前は身体のどういう部位を使ってピッチングを行なっていたのかをトレーニングによって確認していきました」

 松尾のおかげで島袋は最悪の状態から脱し、なんとか2015年のドラフトでソフトバンクから5位指名を受けた。だが、入団してからも島袋はずっと苦しみ続けた。

「プロになってからもコントロールの悪さは変わらなかったです。三軍からのスタートでしたが、心機一転という気持ちにはなれませんでした。投げるたびに不安になって......その気持ちは引退するまで消えませんでした」

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 心に不安を抱える選手が、弱肉強食のプロの世界で通用するわけがない。先述したように、島袋のプロ野球人生は5年で終わってしまった。

 2020年4月1日、島袋は母校・興南高校にいた。応接室で我喜屋優が監督としてではなく校長として、島袋に辞令の証書を渡しているシーンが地元テレビのニュースで流れた。

 沖縄では、かねてから2010年の春夏連覇のメンバーの誰かが、いずれ興南に戻ってきて指導者になるだろうと噂されていた。おそらくキャプテンの我如古盛次か島袋のどちらかだろうと......。だから、島袋が興南に戻ってきたことは、沖縄県民にとっては喜びもあったが、安堵の気持ちが強かった。

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