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31歳で現役引退。ドラ1・大石達也は
なぜプロで羽ばたけなかったのか

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • TOBI●撮影 photo by TOBI

西武・大石達也インタビュー@前編

 日本シリーズ終了から1カ月が経過した11月下旬――。

 ライオンズトレーニングセンターの室内練習場のブルペンで育成捕手の中熊大智は、次々と投げ込まれる荒れ球を捕るのに四苦八苦していた。ボールはホームベースの前でワンバウンドしたかと思えば、今度は高めのボールゾーンに吹き抜けていく。

 対して、マウンドのだいぶ前から投げ込む大石達也は、人懐っこい笑みを浮かべていた。わざと暴れ球を投げ続けたのは、それが求められた仕事だからだ。

31歳で現役生活にピリオドを打った大石達也31歳で現役生活にピリオドを打った大石達也「ファーム育成グループスタッフという役職をいただけました。現時点の立場としては、育成の子が将来的に一軍で活躍できるようにサポートしたいと思っています」

 2019年シーズン終了とともに、大石はライオンズのユニフォームを脱いだ。2010年に6球団からドラフト1位指名を受けた大卒右腕は、9年間で132試合に登板して5勝6敗8セーブ、12ホールド、防御率3.64と期待に応えることはできなかった。

「プロに入る前にイメージしていた自分と、かけ離れていました」

 戦力外通告を受けた日、大石は報道陣にそう語っている。

「一番は投げるスピードですよね。大学時代は150キロを普通に投げられていたのが、プロに入ったら全然で、1年目なんて130キロ前半しか出ないですし。大学の時は投げてパッと顔を上げたらキャッチャーが捕っていたけど、プロに入ったら顔を上げてもまだずーっと球がキャッチャーのところへ行っているという感じでした」

 鳴り物入りで入団した黄金ルーキーは、1年目の4月に右肩を故障した。医師には「たいしたことない」と診断されたが、グラウンドでボールを投げると右肩の内部に痛みが走る。セカンドオピニオンを求めて病院を回るたび、「肩はきれい」と4度も5度も言われ続けた。

「どうしようもなくて、ごまかしながら投げるのがずっと続きました。ケガして、『しょうがない。それも僕の野球人生だ』と思って。『痛い』と思ったら痛く感じると思って、『痛くない』と思ってずっとやっていました。だから(キャリア)後半はキャッチボールの時点で『痛っ』と思っても、『大丈夫』と思いながら投げていたら、あまり気にならなくなるという感じでしたね」

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