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46年ぶりセンバツ出場が幻に。
磐城高伝説の甲子園準優勝メンバーの胸中 (5ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Taguchi Genki

 甲子園では「2番・センター」として出場し、準々決勝の静岡学園、準決勝の郡山戦でも安打と打点を叩き出した。磐城よりも格上とされるチームを退けたことにより、周囲が盛り上がる。「とにかく必死だった」という選手たちにとっては、不思議な現象だった。

「宿舎で自由に新聞を読んだり、テレビを見ることができなかったんで、世間の様子を知ることができるのは試合後の取材しかなかったんです。僕の親は炭鉱勤めではありませんでしたから、閉山の話題はされませんでしたが、該当する選手は聞かれていたと思います。ただ、『地元は相当、盛り上がっているんだな』ということは、記者の方に教えられてなんとなくはわかっていました」

 決勝戦で桐蔭学園(神奈川)に敗れ、東北勢初の全国制覇は叶わなかった。しかし、磐城野球部が市民の希望であり、活力であったことは、地元に凱旋すると一目瞭然だった。

 今では禁止されているが、当時は高校生のパレードが許されていた。いわき市のメインストリートの両端は人で埋め尽くされている。

 紙吹雪が舞う。「よくやった!」「ありがとう!」。沿道からの賛辞が止むことはない。クラスメイトからは「お前らの試合の日は、町に誰も歩いていなかった」と教えられた。

「『すごいことをやったんだな』って、帰ってから実感しました。それくらい、町が盛り上がっていたんです。今みたいに、高校野球と社会が結び付けられるような時代じゃなかったけど、あの時は本当に『みんな喜んでくれてよかったな』って思いました」

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