46年ぶりセンバツ出場が幻に。
磐城高伝説の甲子園準優勝メンバーの胸中
幻の21世紀枠校・磐城高校物語(前編)
体中が震えるほどの歓喜から、現実を受け止めたくても受け止め切れない失意。まるでジェットコースターのような感情の起伏が、2カ月弱のうちに宗像治(むなかた・おさむ)に去来した。
1971年夏の磐城の準優勝メンバーのひとりである宗像治氏 1月24日は、夢が叶った日だった。
「頼む......選ばれてくれ」
福島県高野連理事長の任期を終えた2014年から、センバツの選考委員と大会役員を務める宗像は、今年も大阪の会場にいた。担当は一般出場校だったが、同じ施設の別の場所で行なわれている、21世紀枠の選考が気になって仕方がなかった。
「気になるでしょ?」
ほかの選考委員から気遣われつつ、目の前にある職務に集中していた。しかし、母校の磐城高校が46年ぶりに選ばれるかもしれないとなると、やはり気が気ではなかった。
午後、母校のセンバツ出場が決まると、無意識に「やった!」と声が出ていた。会場にいる選考委員たちからも祝福された。
あの感動は、今もすぐに蘇る。
「今年の選考委員会は、特別な想いで行きましたから。大会中の僕は、チームの誘導係を任されていて、東北地区と近畿地区の担当なんです。だから当然、試合前と試合後には母校にも帯同するわけですけど、大会役員の仕事をするようになってからは、それがずっと夢でした。この仕事に就いてから、福島県は聖光学院しか出ていないから(笑)」
宗像は夏も大会役員として同様の役割を果たすが、聖光学院の連続出場は2007年から続く。だからこそ、喜びもひとしおだった。
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