上野由岐子は「もう一回」が考えられず、東京五輪出場へ葛藤は長かった (4ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • photo by Sportiva

―― そうなったきっかけは何だったのですか?

「ピッチング練習がつまらなくなったんです。言い方は悪いですけど、1週間ぐらい休んでも投げられちゃう。練習する意味がわからなくなったんです。それで好奇心を持って、たとえばシュートという球種ひとつとっても、ただ曲げるだけじゃなくて、落としたり、ライズのように上げたりしたら面白いかなと。いろんなボールを遊びのなかで試すようになったら、ピッチングが面白くなったという感じです」

―― もっとストイックなのかなと思っていました。

「ほんと気まぐれです(笑)」

―― 7月になれば東京五輪が開幕します。

「北京オリンピックの時に妹が年女だという話をしていて、今回もそうだから干支が一周したんだなと思うと、時の流れを感じちゃいます(笑)」

―― ただ、当時も今も、上野投手は世界一のピッチャーのままです。

「あの時とは全然タイプが違うピッチャーになっていると思います。12年分、何か成長していると思いますし、そうじゃなきゃ意味がないですから。でも、あの頃みたいな体力はもうないです。北京オリンピックの時みたいに、300球投げた翌日も投げるというのはもうできません。それこそ、日本リーグの決勝トーナメントも1日2試合完投しましたが、同じ日だったからできたんです。ひと晩寝てしまうと、同じような投球はできない。だから、自分の体や疲れ方も考えながら東京オリンピックは戦わないといけない。そんなピチピチじゃないんで(笑)」

(後編につづく)

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