上野由岐子は「もう一回」が考えられず、東京五輪出場へ葛藤は長かった
東京オリンピックで輝け!
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ソフトボール 上野由岐子 前編
2020年がスタートした。今年はなんと言っても、東京五輪が開催される。この4年に一度の祭典を、誰よりも楽しみにしているアスリートがいる。女子ソフトボールの上野由岐子だ。12年前の北京五輪で2日間3試合、413球をひとりで投げ抜き、日本に金メダルをもたらしたが、その後ソフトボールは五輪の種目から外れた。優勝メンバーのほとんどが現役を退くなか、上野は今でもソフトボールを続け、第一線で活躍している。北京五輪から12年間、上野はどんな心境で過ごし、どうソフトボールと向き合ってきたのだろうか。
現在も日本のエースとして活躍を続けている上野由岐子―― 東京五輪イヤーの2020年を迎えました。どのような心境ですか?
「いよいよだな、という感じですね。カレンダーにある『2020』の文字を見た時に一番実感しました」
―― ソフトボールの五輪復帰が決まったのが2016年でした。その頃から東京2020を意識されていたと思いますが、ここまでは長かったですか?
「正直、最初は身近な感じではなかったです。まさか自分がもう一度オリンピックの舞台に立つなんて、これっぽっちも考えていませんでしたから。ひとりのソフトボール選手として、子どもや若い選手たちの(五輪に出られる)夢がつながったといううれしさの方が大きかったですね。
私にとっては2008年の北京オリンピックは、人生の集大成だと思って戦っていました。そこで金メダルを獲って、すべてを懸けて出し切りました。これでソフトボール人生が終わってもいいと。だから"もう一回"は考えられなかった。むしろ、本当に東京オリンピックに出たいのか......という葛藤のほうが長かったです」
―― 以前、「北京五輪に向かうまでは1分、1秒を惜しんで、考えられないぐらいの集中力で取り組んでいた」と話されていました。やはり、気持ちの切り替えは難しかったですか。
「北京オリンピックが終わって、しばらくは惰性でソフトボールを続けていました。自分の感情ではなくて、周りが応援してくれて喜んでいるから続けているみたいな。そんな気持ちだったから、本当に自分が東京オリンピックに出ていいのか、すごく悩みました。だって、アテネから北京に向かうまでの4年間は結構つらかったから。『もうあんな思いはできない』『耐えられる根性はない!』って(笑)。でも、今はもう開き直っているので、気持ちのベクトルはオリンピックに向かっています」
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