佐々木朗希が語った「半々です」の思い。高校時代の無念はプロで晴らす (2ページ目)

  • 佐々木亨●文 text by Sasaki Toru
  • photo by Kyodo News

佐々木にとって高校野球とは何だったのか......。高校野球をやりきったと言えるのだろうか?

 試合後、そんな疑問を佐々木にぶつけると、小さな声でこう言った。

「半々です」

 ドラフト当日に語った「思い描いていたよりも順調に成長できた」という言葉に偽りはないだろう。ただその一方で、満たされなかった思いがあったのは間違いない。韓国の地で、どこか吐き捨てるように発せられた佐々木の言葉を思い出すたびに、そう思わずにはいられない。

 満たされなかった思い----

 それは、地元の仲間たちと甲子園に行けなかったことへの悔恨とも言えるだろうか。常々、佐々木は「このメンバーで甲子園に行くことに意味がある」と言ってきた。そしてこう語ったこともある。

「つらい時だったり、悩んでいる時に相談に乗ってくれるチームメイトがいた。そのなかで、一緒に甲子園を目指すということが励みになった」

 だからこそ、本気で甲子園を目指した。だが、夢は潰えた。しかも甲子園が目の前に迫った岩手大会決勝で、出場することなく敗れたのだ。

 ドラフトの日、記者会見場となった大船渡市三陸公民館には野球部のチームメイト54人の顔もあった。彼らを目の前にして、制服姿で会見に臨んだ佐々木は緊張した面持ちだった。テレビ、新聞、雑誌を合わせて約20分だけの記者会見。そのなかで佐々木は「感謝」という言葉を5度使った。両親への思い、支えてくれた人々への思い、育った大船渡への思い、そして仲間たちへの思いを、その二文字に凝縮させた。

 大船渡高校野球部OBのひとりはこう言う。

「プロの4球団が競合するほどの選手が、大船渡から出たこと自体、すばらしいことです。これまでいなかったわけですから。仲間に対する思いが本当に表れた時に初めて、彼は成功すると思います。その時、本当の意味で佐々木朗希という選手の基盤ができると思っています」

「感謝」という言葉を体現する場となるプロの扉が開かれた今、佐々木はこう言うのだ。

「目標を立てて、ひとつずつクリアしていって、最後はしっかりと成長して日本一のピッチャーになれたらと思います。プロではチームを優勝に導けるようなピッチャーになりたいです」

 すべてが満たされたとは言えなかった高校時代に別れを告げた佐々木の、覚悟にも似た思いがその言葉に詰まっていた。

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