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選手がいなかった軽井沢高校。
ある女子マネの手紙から奇跡は始まった

  • 清水岳志●文 text by Shimizu Takeshi
  • photo by Shimizu Takeshi

軽井沢高校、奇跡の物語(前編)

 7月上旬、梅雨寒の避暑地でひとりの女性に会った。

「待ち合わせ場所を決めましょう。いまアウトレットにいます。このあたりは混んでいますが、30分後には学校に行けます。夕方4時に学校で待ち合わせしましょう」

 電話での会話は理路整然、過不足ない。初対面だったが、無事に会うことができた。

 小宮山佑茉(ゆま)さんは長野県軽井沢町生まれの20歳で、現在、看護学校の2年生だ。今はごく普通の日々を送りながら、近い将来、社会に出るための準備をしている。ただ、この時期になると、一昨年の特別な夏を思い出すと言う。

 彼女のことを知ったのは、2017年の夏。ある女子高生マネージャーが記録員として長野県大会のベンチに入り、スコアブックをつけたというニュースが、地元紙だけでなく、全国紙でも扱われた。

かつて選手ゼロの軽井沢高校を支えた小宮山佑茉さんかつて選手ゼロの軽井沢高校を支えた小宮山佑茉さん 話はさらにさかのぼり、彼女が野球部のマネージャーになるところから始まる。

 彼女が入学した2015年4月、長野県立軽井沢高校の野球部はすでに部員不足だった。

「入った時は、助っ人を含めて8人ぐらいでした。マネージャーは3年生がひとり。単独チームでは公式戦に出られなかった。それまでは屋代南(やしろみなみ)と連合チームを組んでいました」

 小宮山さんは野球をまったく知らなかった。それなのになぜ、野球部のマネージャーになったのだろうか。

「なんでなろうとしたんですかね(笑)。スポーツは嫌いだったんです。中学では、部活はしていません。勉強も嫌いで、休日は家で寝て、ダラダラしているどうしようもない子でした。『これじゃいけない』と思って、高校生になって変わろうと思ったんです。

 それで、運動部のマネージャーならいいかなって。野球部って熱いイメージがあって、そこに魅かれたんです。中学からの親友も『やりなよ。じゃなきゃ変わらないよ』と背中を強く押してくれました。私も負けず嫌いなので『じゃあ、やるよ』と入部を決めたんです」

 そもそも野球は9人でやるスポーツということもわかっておらず、部員が足りないという危機的状況も理解していなかったと、小宮山さんは笑う。

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